〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-Y』 〜 〜
評 伝 広 瀬 武 夫

2012/10/21 (金) 第 八 章 日 露 開 戦 (三)

(艦内にて応ずる者、水兵部百九十人、機関部百十二人あり。しかも先を争い懇願涙を以てするものあり。其の取捨において大いに苦しむ。ああ死を賭して事に当らんとするの気性は、実に吾が国民にして始めて見るべし。痛快の至りに堪えず)
廣瀬が家族に出した手紙である。
十九日午後六時、東郷は有馬ら九人の士官を三笠に招いて、決別の宴を催した。
「この度は御苦労である。十分成功を望む」
重厚な、いかにも東郷らしい言葉で九人を励まし、その後は第二艦隊司令長官の上村彦之丞が熱弁をふるって士気を高めた。連合艦隊を代表する二人の司令長官が揃っての宴だったのである。いかに作戦が危険で、それ以上に連合艦隊の運命を左右するものとして期待されたいたかがわかる。
二十日午前八時、閉塞隊は各艦の登舷礼に送られて出港した。軍楽隊は軍艦マーチなどを吹奏し、 「必ず成功を祈る」 という信号旗も掲げられた。閉塞隊側も全員が上甲板に整列して帽子を振り、 「必ず成功を期す」 という答礼信号を掲げた。
廣瀬の元にはこの日までに、尊敬する八代六郎から手紙が届いていた。
(此度の壮挙に死すれば、求仁得仁のものなり。邦家の前途は隆盛疑ひなし、憂慮を要せず、安心して死すべし)
巡洋艦・浅間の艦長だった八代も、この義勇兵の多いことに驚き、これほどの戦意があれば日本が負けることなし、と思ったのだろう。そんな興奮が伝わって来るような文面である。
二十一日夜、作戦を支援するため報国丸に乗り組んでいた水兵や船員との別れの小宴が催され。この席で、廣瀬は自らの決意を秘めた詩を披露した。
丹心報国
一死何ゾ辞セン
船ト骨ヲ埋メン
旅順ノ陲
この夜、閉塞隊員の一人がこんな歌を詠んだ。
敷島や 笠木の御艦 報国の  朝日に匂う 日本魂
報国丸に乗り組んだ閉塞隊員が戦艦。敷島と朝日、巡洋艦・笠置から選抜されていたため、その艦名を詠み込んだ秀作だった。が、廣瀬はこの歌を引き取り、改作して見せた。
報国の 操は高し 笠置山  朝日に匂う 敷島の花
隊員たちは大いに喜び、競って各艦に送り届けた。この時代の将兵たちは風雅に道にも長けていたと思わざるを得ない。その中でも廣瀬の見識と文才は頭抜けていた。
『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ
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