閉塞隊の五隻が旅順港外に到達したのは二十四日午前一時半である。ここに至るまでの間に廣瀬は、隊員らにこんな講和をした。 「今度という今度は、胆力を試すには何よりの好機である。皆が平素どこまで修養を積んでいるか、或いは胆力がどこまですわっているかを試す絶好の好機であるのだ」 そういって持ち出した話が、清水次郎長から得た教訓だった。 「胆力を試すには何が一番よろしいかといえば、自分の睾丸に触ってみるに越したことはない。胆力がすわっておれば、睾丸は平素の通りぶらいと下がっているし、そうでないとじきに縮み上ってしまうから、誰にでもよくわかるのだ」 その後、悠々と引きあげること大切さ、万一カッターが敵の駆逐艦に追撃された時の手順を話している。 「エイレビヤータ
(おいおい兄弟) とロシア語で話しかけ、敵艦の舷側にカッターをもっていくと即座に乗り移り、片っ端から (敵兵を) ふん縛って、敵艦を捕獲するのだ」 豪胆の一方で、この船中で廣瀬はアリアズナへの手紙を書いていたと言われる。其の文面は残っていないが、同時にペテルブルグ時代に親交があって今は旅順に赴任しているボリス・ヴィルキツキーというロシア少尉宛てにも手紙を書いた。その文面等からアリアズナへも手紙を出したことがわかるのである。 旅順港外に達する直前には、こんなこともしている。秘密海図などをすべて処分して無聊のため、機関長の粟田富太郎に話しかけた。 「何か記念になるものを書き残したいんだが」 船橋に大きな幕を張り巡らし、ペンヒで何かを書くと言う。粟田に手伝わせながら、書き上げたのはロシア語だった。 |
(尊敬すべきロシア海軍軍人諸君。請う、余を記憶せよ。余は日本の海軍少佐廣瀬武夫なり。報国丸をもってここに来る。さらにまた幾回か来たらんとす) |
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豪胆と言えば、これもまた豪胆だが、他に狙いがあったのかもしれない、と考えたのは司馬遼太郎である。この逸話について
『坂の上の雲』 でこう推量している。 |
((旅順港内に)
たとえばボリス・ヴィルキチキー少尉がいる。さらにはこの字幕がペテルベルグに伝わる事によって、かれのアリアズナに最後の挨拶を送ろうとするものであったろう) |
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