マリアとの別れがあった翌月、廣瀬はアリアズナとトロイカを走らせた。行き先は詩人プーシキンが住んだことのあるアパートだった。二人ともプーシキンが好きだったため、別れを前に思い出の場所に選んだのである。 「日本にお帰りになっちゃ嫌ですよ。絶対に嫌」 そう言って泣いたアリアズナは、翌日も廣瀬を訪ね、清楚な手帳を取り出して、記念に何か書いてほしいとねだった。廣瀬はプーシキンの詩
「夜思」 を漢詩で書いた。 |
四壁沈々夜 (しへき ちんちんのよる) 誰破相思情 (たれかやぶる そうしのじょう) 懐君心正熱 (きみをおもいて こころまさにねっし) 嗚咽独呑声 (おえつして ひとりこえをのむ) 枕上孤燈影 (ちんじょう ことうのかげ) 可憐暗又明 (あわれむべし あんまためい) |
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で始まる十四行の詩である。文末には、各行をどう読み、どんな意味を持つかを丁寧に書いた。それでも心の高揚が収まらなかったのか、短歌を書き連ねた。 |
戈にぎる 手に筆とりて 外国の みやびのみちを 大和言の葉 筆とりて うえ移し見む とつくにの 父の園生に やまとことのは 筆とりて うつすこころを しるや君 訳しもあえず 大和言の葉 ウラル山 山嶺のこなたへ 敷島の 大和言の葉 うつしみるわれ ウラル山 山嶺のこなたへ しきしまの 大和ことばの 花やつたえむ |
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この五首に関しても、日本古来の短歌というものであり、その読みや意味をこと細かに書き連ねた。この時すでに、アリアズナは廣瀬にとって、かけがえのない恋人だったと言っても過言ではあるまい。 アリアズナの恋敵はひょっとすると、廣瀬の兄嫁、春江とその娘の馨子だったかも知れない。アリアズナの存在をほのめかして碧眼の嫁を連れ帰ったらどうする、という手紙を廣瀬が出したのは春江だった。春江も廣瀬好みの返事を書ける女性だった。春江は、廣瀬の手紙を数多く受け取った一人である。廣瀬の信頼ぶりがうかがえる。 春江は後に、馨子の婿養子になった末人から
「西太后」 とあだ名されるぐらい、廣瀬の功績と名声を守り、廣瀬家の対面を守ろうとした女性である。末人は後に海軍中将まで上り詰める傑物で、優秀な海軍士官だったが、廣瀬ばりの暢気さと稚気を持つ人物である。二人に初対面は、末人が上京した新橋駅だったが、麦わら帽子によれよれの浴衣、ちびた下駄ばきという末人を見て、春江は失望し、一喝した。 「貴方は軍服をお持ちではないのですか」 あまりの見幕に恐れおののいた末人は、二等待合室に入って柳行李を開け、軍服の正装に着替えたという。春江とはそういう女性である。 馨子は、兄の勝比呂の家に生まれた唯一の子供であり、廣瀬家の子孫は今、この家系が唯一のものである。ただ一人の姪になる馨子を廣瀬は可愛がり、勝比呂家に行った時などは馬になって、馨子を背に乗せて遊ぶことが度々だった。廣瀬が旅順口で戦死した時、喪主を務めたのは馨子である。 廣瀬が日本への貴国命令がそろそろ出るのではないかと危惧し始めたころ、アリアズナとこんな会話を交わしている。 「来年の今ごろは、私も日本へ帰る準備をしているかもしれない」 「日本のお兄様のお嫁さんはどんな方ですの」 「よく気の付く利口な女性です」 「ロシア人はお嫌いでしょうね。その方」 「いや、そんなことはないでしょう」 「私・・・・」 と言ってからアリアズナは、ためらいがちに次の言葉を出した。 「日本の方、好きです」 アリアズナが懸命に、日本と同化しようとしていることを示す逸話である。 |