〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-Y』 〜 〜
評 伝 広 瀬 武 夫

2012/10/17 (水) 第 三 章 青 年 士 官 (五)

この外人嫌いの廣瀬を一変させる経験を積んだのもこの航海の時だった。十二月十五日、帰港先のシドニーでのことである。
突然英国人のアール・ブラウンという人物が廣瀬を訪ね、一通の手紙を差し出した。手紙の主はゼー・テー・ショーという人で、この地で有名な建築士だった。
(わが親愛なる君よ。余は当地新聞紙上において、日本軍艦 「比叡」 の士官姓氏禄に、余がニュージーランドのウェリントン市街の自宅に来訪せい貴国軍艦 「龍驤」 「筑波」 乗組士官の姓氏なきかと目を注ぎたるに、余が知人としては唯一ヒロセなる姓を認めぬ。君は果たして、余の指すところの旧識なりや。謹んで確報を待つ)
このヒロセは無論、廣瀬ではない。廣瀬は今回が二度目の海外航海で、二度とも比叡に乗り組んでいるのである。しかし、廣瀬にはすぐわかった。この廣瀬は七歳年長で、海軍に在籍する兄、勝比呂であると。勝比呂はニュージーランドに回航した 「龍驤」 「筑波」の乗組士官を勤めていたことがある。
廣瀬はその旨をブラウンに言い、同行していた友人二人と共に、お礼の団扇をプレゼントした。ブラウンは喜び、二十日の日曜日に自分たちの自宅に招待したいと申し出た。兄が遠洋航海中に世話になった人ならば、と廣瀬も思い、招待に応じる旨を書いた手紙をブラウンに託した。
約束の日、廣瀬は英語に堪能な加藤寛治ら三人の少尉候補生を誘い出し、シドニーからストロスフィルド行きの汽車に乗った。下車すると、一人の紳士が近寄って来て、 「ヒロセさんではありませんか」 と尋ねた。そうです、と答えると、笑顔で固い握手を求めてきた。ショーだった。
ショーは勝比呂がシドニーに帰港した際に出会い、意気投合したという。冷静に考えれば、ただそれだけのことである。にもかかわらず、ショーに同行したブラウンは、廣瀬たちを葡萄園に案内して、わざわざ店主を呼び、その園秘蔵の葡萄酒を廣瀬たちに振る舞った。
そればかりでなく、馬車でブラウンの自宅に連れて行かれた。すぐに酒が出た。壁には廣瀬がブラウンにプレゼントした団扇が飾ってあった。 「英国に帰って、これを妻に見せるのが今から楽しみだ」 とブラウンは言った。彼は仕事の都合で、このシドニーの別邸に来ていると説明した。
ブラウンはさらに、秘蔵の品々を出してきて、どれでも進呈するから遠慮なく言ってくれ、と申し出た。団扇の返礼をするつもりらしい。何度も固辞したが、ブラウンは最後に扁額を持ち出し、 「遠慮されては困る」 と言い、三人の少尉候補生には敷物を押し付けようとした。それでも固辞すると、また酒を勧める。加藤以外の三人は下戸だったので、加藤が一人で引き受ける羽目になった。
その後も馬車に乗せられて公園や、ブラウンたちの知人というドイツ人宅などを案内された。昼食は、駅近くのホテルに用意されていた。午餐と呼ぶにふさわしいご馳走だった。その席で、ちょっとした異変があった。客の一人が廣瀬たちに言葉をかけたのだが、それが英国流では無礼な言葉だったらしい。
「黙れ。こちらの方たちは日本帝国の上流紳士だ。お前たちが軽々しく口を利いてはならんぞ」
ブラウンの怒鳴り声に、廣瀬は誠意を見た思いがした。自宅に戻って、ブラウンはさらに扁額を贈ろうとしたが、ようやくのことで断って四人は帰路についた。東洋の、それも昔の奇人肌の人のようだと、四人はブラウンを評し合った。廣瀬が西洋人に、日本人と変らぬ人情を見た初めての出来事だった。
この逸話はさらに続く。翌日、艦にいた廣瀬の元にブラウンからの例の扁額が届いたのである。その好意と偏屈ぶりはまさに、江戸っ子のようであった。
廣瀬は困った。ここに至って、押し返すのも非礼であろう。思いあぐねた末、数少ない私物が思い浮かんだ。筑前鍛冶の日本刀の一振である。以前、父の重武が上京した折に持参したもので、帰省さえままならぬ廣瀬にとっては千金の重みがあったが、それ以外に返礼がなかった。廣瀬は礼状を添えてブラウンに贈った。
この出来事は、ニュースの少ない航海生活を送る比叡の乗組員の間で格好の話題になった。生来頑固で、今なお攘夷家の臭いを漂わせる廣瀬の開化ぶりなのである。艦内が大騒ぎになるのは無理もなかった。
(この件のみを以ってして、本国の諸友人に知らしめば、必ず廣瀬も開化して、交際家の伴侶に連なりたるならんというなるべし)
この騒ぎの中、廣瀬は扁額を艦長に預け、艦長室の装飾品にした。
『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ
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