〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-Y』 〜 〜
評 伝 広 瀬 武 夫

2012/10/23 (火) 第 十 章 旅 順 口 (一)

連合艦隊が第二次の旅順口閉塞作戦を実施する前、旅順港に集結するロシア太平洋艦隊では変化が起きていた。ロシア海軍の名将として知られるステパン・マカロフ中将が、クロンシュタット鎮守府司令長官から太平洋艦隊司令長官に転任して、旗艦・ペトロバブロフスクで指揮を執っていたのだ。三月八日からのことである。
マカロフは、バルチック艦隊の来航を待つ艦隊保全主義には満足せず、短距離出撃を繰り返して可能な限り、日本の連合艦隊に打撃を与える積極策を取った。そればかりではなく、港口に艦砲群を出来るだけ並べて、連合艦隊の襲来に備えた。要するに、ロシア陸軍の要塞砲に守られているだけでは、艦隊の志気が上らないと考えたのである。
閉塞部隊の再来も予期して、港外に二隻の汽船を沈め、駆逐艦隊や砲艦を港内や港口に夜間待機させる態勢を整えた。閉塞船に前回以上の砲火を浴びせ、魚雷も使って港口に近づかせまいとしたのである。
その危険の増した港口に向かって、廣瀬は行く。二十七日午前二時、閉塞隊は最後の隊形を整えた。一番船は有馬良橘率いる千代丸、廣瀬が指揮する福井丸が続く。その後は斉藤七五郎の弥彦丸、正木義太の米山丸。速度が六ノットしか出ない米山丸を殿にした単縦陣である。この夜は薄霧が立ち込め、視界が悪い。閉塞隊には幸いだった。
港口に三千七百メートルまで近づいたところで、千代丸が敵の探照灯に照らし出された。要塞砲と、港口に碇泊していた砲艦・ボーブル、アツワージヌイが砲口を開いた。閉塞船側も前甲板の機関砲で応戦した。この時はまだ、近くに護衛と作戦後の隊員収容に当る水雷艇隊がいたので、銃撃に加わった。ロシア側は、港内に待機していた当直駆逐艦・シーリヌイとレシチェリヌイも港口に出動させた。
千代丸は、港口右の黄金山の探照灯を目標に直進し、頃合を見て進路を転じて港口に至ろうとしていた。しかし、間断なく襲い掛かる探照灯に操舵手が幻惑され、港口の位置がつかめぬままに炎上したため、黄金山南方の海岸近くで投錨し、爆沈を敢行した。
後続していた福井丸は、千代丸の爆沈を見てその左側へ出た。千代丸の船主を離れること数十メートル。頃合と見た廣瀬は後進全速を命じ、次いで機関停止を号令した。
錨を投じようとした瞬間だった。鈍い爆発音とともに、船体に衝撃が走った。船橋に立っていた廣瀬の体が数メートル飛ばされた。シーリヌイが発射した魚雷が船首左舷に命中したのである。船首部には防水隔壁を破壊して自沈しやすくするための六インチ砲弾などが爆破装置とともに準備されている。これが爆発したらしく、大爆発が起こって船底が抜け、浸水が始まった。福井丸は左前方にゆっくり沈み始めた。
「総員上へ」
「カッター用意」
廣瀬の命令を受けてカッターを下ろす作業を指揮したのは機関長の粟田である。粟田は後日、その時の様子と心境を次のように語っている。
「急いで船尾の方へ走って行くと、ここに飯牟礼兵曹らが居て、 (自沈用の爆破装置への) 爆発点火の用意で野望を極めている。救助艇はどうか、と見れば、まだ予定の場所には着いていない。左舷前部なる端艇架の処へ駆けつけてみると、平野一水 (一等水兵) ほか数名が端艇索をさばくので、これまで以上の混乱を極めている。敵の探照灯は三方より照らし合って、頭の頂上でぐるぐる旋回して居るさえ既に嫌な心にせらるるに、まして港の付近一面の堡塁からは、さながら万雷の一時に轟くが如く、幾百、また幾千とも知れぬ砲弾、銃弾がこなたを目がけて、続けざまにやってくるのであるから全く気が気でない」
『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ
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