物語
せし末すゑ を聞くに、さてこそ、我が事申し出し、
「さてもさても、茂右衛門めは、ならびなき美人を盗み、惜しからぬ命、死んでも果報くわほう
」 といへば、 「いかにもいかにも、一生の思ひ出」 といふもあり。また、分別らしき人のいへるは、 「この茂右衛門め、人間たる者の風上かざうへ
にも置くやつにはあらず。主人夫妻をたぶらかし、かれこれためしなき悪人」 と、義理をつめて謗そし
りける。茂右衛門立聞たちぎ きして、
「たしか今のは、大文字だいもんじ
屋の喜介きすけ めが声なり。哀れを知らず、憎さげに物をいひ捨てつるやつかな。おのれには、預あづか
り手形にして銀八十目の取替とりかへ
あり。今の代わりに首おさへても取るべし」 と、歯ぎしめして立ちけれども、世にかくす身の是非ぜひ
なく、無念の堪忍かんにん するうちに、又ひとりのいへるは、
「茂右衛門は今に死なずに、どこぞ伊勢のあたりに、おさん殿をつれて居るといの。よい事をそをる」 と語る。 これを聞くと、身にふるひ出て俄にはか
に寒く、足ばやに立退たちの き、三条の旅籠屋はたごや
に宿借りて、水風呂すいふろ にも入らず休みけるに、十七夜代待だいまち
の通りしに、十二灯を包みて、 「わが身の事よ、末々知れぬやうに」 と祈りける。その身の横しま、愛宕様あたごさま
も何として助け給ふべし。 |