〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
中 段 に 見 る 暦 屋 物 語

2012/10/09 (火) 身 の 上 の 立 聞 き (三)

明くれば、都の名残なごり とて、東山、忍び忍びに、四条川原かはらさが り、 「藤田ふぢた 狂言きやうげん づくし、三番続きのはじまり」 といひけるに、 「何事やらん、見て帰りて、おさんにはなし にも」 と円座ゑんざ 借りて 遠目とほめ を使ひ、もしも我を知る人もと心もとなく見しに、狂言も人の娘を盗む所、これさへ気味 しく、ならび先の方見れば、おさん様の旦那殿だんなどの 。魂消えて地獄の上の一足飛いつそくと び、玉なる汗をかきて木戸口にかけ出、丹後たんご なる里に帰り、その後は京こはかりき。
夜が明けると、これで都も見おさめというので、東山を人目を忍んで見物し、四条河原まで下がって来た。 「藤田狂言づくし、三番続きの始まり」 と客を呼ぶ声に、 「どんな芝居だろう。見て帰っておさん・・・ さんへの話の種にしよう」 と考え、円座えんざ を借りて後ろの方から遠目を使い、万一自分を知っている人がいないかと、びくびくしながら見物すると、だし物も人の娘と密通する所、これだけでも気味が悪いのに、ひょいと自分と同じ列の前のほうを見ると、おさん様の旦那殿の姿が見えた。魂も消えるばかりに驚いて、地獄の上の一足飛び、玉のような冷汗を流して木戸口に駆け出し、丹後の村里に帰って、その後は都が恐ろしくてならなかった。
折節をりふし は菊の節句近付きて、毎年丹波より栗商人くりあきびと きた りしが、四方山よもやまはなし次手ついで に、 「いやこなたのお内儀様は」 と尋ねけるに、首尾悪しく返事のしてもなし。旦那だんな しがい顔して、 「それはてこねた」 といはれける。栗売くりうり 重ねて申すは、 「物には似た人もあるものかな。これの奥様にみぢんも違はぬ人、又、若人わかうど も生きうつしなり。丹後たんご切戸きれとあたり にありけるよ」 と語り捨てて帰る。
亭主聞きとがめて、人遣はし見けるに、おさん茂右衛門なれば、身内みうち 大勢催してとらへに遣はし、そのとが のがれず、様々の詮議せんぎ きは め、中の使つかひ せし玉といへる女も、同じ道筋みちすぢ に引かれ、粟田口あはたぐち の露草とはなりぬ。九月二十二日のあけぼの の夢、さらさら最期さいご いやしからず、世語よがた りとはなりぬ。今も、浅黄あさぎ の小袖の面影おもかげ 、見るやうに名は残りし。
折から菊の節句が近づき、大経師だいきょうじ の店には、毎年丹後から出て来るくり 商人が来ていたが、雑談のついでに、 「ところでこちらのお内儀様はどうなされました」 と尋ねたが、ばつが悪くて返事する者もなかった。旦那だんな は苦々しい顔をして、 「あれはくたばった」 と言われた。栗売りが重ねて言うには、 「世の中には似た者もあるものじゃ。ここの奥様に微塵みじん も違わなぬ人がいる。一緒にいる若者も、ここにいた人に生き写し、丹後の切戸きれどあた りにおられたよ」 と語り捨てて帰って行った。
亭主はこの言葉を聞きとが め、人をやって見せた所、おさんと茂右衛門だったので、親類の者を大勢集めて捕えにやった。二人は不義のとが を逃れず、様々に取り調べの上、仲立ちした玉という女も同罪として、同じ道筋を引き回しの上、粟田口あわたぐち の露と消えたのであった。天和三年九月二十二日のあけぼの の事、夢のようにはかない最期であったが、少しも見苦しい所なく、世の語り草となった。今も浅黄の小袖を着たおさん・・・ の面影が、ありありと、その名とともに残っているのである。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ