〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
中 段 に 見 る 暦 屋 物 語

2012/10/08 (月) 小 判 知 ら ぬ 休 み 茶 屋 (三)

おさん悲しさ、茂右衛門の迷惑、 「かりそめの事を申し出て、これぞ因果と思ひ定め、この口惜しさ、またも憂き目に近江あふみ の海にて死ぬべき命を永らへしとても、天われ をのがさず」 と、脇差わきざし 取りて立つを、おさん押しとどめて、 「さりとはみじか し、さまざま分別ふんべつ こそあれ、夜明けてここを立退たちの くべし、万事は我にまかせ給へ」 と気をしづめて、その夜は心よく祝言しうげんさかづき 取りかはし、 「我は世の人の嫌ひ給ふ丙午ひのえうま なる」 と語れば、 太郎聞きて、 「たとへば、丙猫ひのえねこ にても、丙狼ひのえおほかみ にても、それにはかまはず、それがしは、好みて青蜥蜴あおどかげ を食うてさへ死なぬ命、今年二十八まで虫腹むしばら 一度おこ こらず、茂右衛門もこれのはあやかり給へ。女房どもは上方かみがた 育ちにして、物にやはらかなるが気には入らねども、親類のふしやうなり」 と、膝枕ひざまくら してゆたかに しける。悲しき中にもをかしくなって、寝入るのを待ちかね、又ここを立退たちの き、なほ奥丹波おくたんば に身をかくしける。
おさんの悲しさ、茂右衛門の迷惑、ともに限りなく、 「いい加減な事を言い出して、こんな事になったのも因果だと覚悟はするものの、この無念さ、またここでこんな憂き目にあうのだったら、近江おうみ の湖で死んだがましだったものを、生き永らえても天道は我らを見逃してくださらないのだ」 と脇差を手に立ち上がるのを、おさんは押しとどめて、 「これはまたずいぶんと気の短い。色々私に思案がある。夜が明けてからここを立退きましょう。万事私に任せなさい」 と、気を落ち着けて、その夜は快く祝言の盃を取り交わして、 「私は世間の人が嫌う丙午ひのえうま ですよ」 と話したところ、是太郎はこれを聞いて、 「よしんば丙猫ひのえねこ でも丙狼ひのえおおかみ でも、そんな事は構わぬ。わしはすき好んで青とかげ・・・ を食うが、それでも死なぬ命だ。今年二十八になるまで虫腹一つ痛んだことがない。茂右衛門殿もこれにはあやかりなされ。この女房は上方かみがた 育ちで、物柔らかなのが気にくわぬが、親類だから仕方がなくもらってやるのじゃ」 と、おさんのひざ を枕にして、のびのびと横になった。悲しい中にもおかしくなって、是太郎が眠り込むのを待ちかね、またここを立退き、なお奥丹波に身を隠した。」
やうやう日数ふりて、丹後路たんごぢ に入りて、切戸きれと文殊堂もんじゆどう通夜ゆや してまどろみしに、夜半やはん と思ふ時、あらたに霊夢れいむ あり。 「汝等なんぢら 世になきいたづらして、何国いづく までか、その難のがれがたし。されども、返らぬ昔なり。向後きやうこ 浮世うきよ の姿を めて、惜しきと思ふ黒髪を切り、出家となり、二人別れ別れに住みて、悪心あくしん 去つて菩提ぼだい の道に入らば、人も命をたすくべし」 と、ありがたき夢心に、 「末々は何にならうとも、かまはしやるな。こちや、これが好きにて身に替へての脇心わきごころ文殊様もんじゆさま は、衆道しゆだう ばかりの御合点ごがつてん女道によだう はかつて、知ろしめさぬまじ」 といふかと思へば、いやな夢覚めて、橋立はしだち の松の風ふけば、 「ちり の世じやもの」 と、なほなほ む事なかりし。
次第に日数が経って、丹後路たんごじ にはいり、切戸きれと文殊堂もんじゅどう通夜つや をしてうとうととしていたところ、夜半と思う時、あらたかな霊夢があった。 「お前たちは、世間にまたとない、不義をして、どこまで逃げたとしても、その罪を逃れることは出来ぬぞ。今後、俗人の姿はやめ、惜しいと思う黒髪くろかみ を切り、出家となって二人別れ別れに暮らし、心得違いをやめ仏道に入るならば、世間の人も命だけは助けてくれるだろう」 と、ありがたいお告げを夢うつつ に聞いたが、 「行く末はどうなろうとお構いくださるな。私どもはこれが好きで、命にかえてのあだ し心でございます。文殊様は男色ばかりはご存知でも、女色のほうはまるでご存知ありますまい」 と言うかと思うと、いやな夢が覚め、天の橋立の松に風が吹くばかり、その吹けば飛ぶ 「ちり のようにはかない浮世じゃもの」 と、やはりこの道ならぬ恋をやめようとはしなかった。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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