〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
中 段 に 見 る 暦 屋 物 語

2012/10/08 (月) 小 判 知 ら ぬ 休 み 茶 屋 (二)

それより柏原かやばら といふ所に行きて、久しく音信おとづれ 絶えて、無事をも知らぬをば のもとへ尋ね入りて、昔を語れば、、流石さすが よしみとてむごからず。親の茂介殿の事のみいひ出して、なみだ 片手夜すがらはな し、明くれば、うるはしき女臈ぢよらふ に不思議を立て、 「いかなる御方おんかた ぞ」 と尋ね給ふに、これさしあたっての迷惑、この事までは分別もせずして、 「これはわたくしのいもと なるが、年久しく、御所方ごしよがた宮仕みやづか ひせしが、心地ここち なやみて、都の物がたきしま ひを嫌ひ、物しづかなる山家やまが に、似合にあは せの縁もがな。身を引き下げて、里の仕業しわざ の庭働き望みにてともな ひまかりける。敷銀しきぎん も二百両ばかりたくはえあり」 と、何心もなく当座たうざ さばきに語りける。
それから柏原かやばら という所に行き、久しく音信不通で、無事かどうかも知らぬ伯母おば の家へたず ねて行って、昔の話をしてみると、さすがに縁者の事とてむごい仕打ちはしなかった。茂右衛門の親の茂介殿も事ばかりを話し出して、涙ながらに一晩中語り明かした。夜が明けてみると美しい女性がいるので、伯母は不審に思い、 「これはどうしたお方」 と尋ねられるので、途端に当惑してしまった。そこまではあらかじめ考えておかなかったので、 「これは私の妹ですが、長い間御所方ごしょがた に御奉公しておりましたが、体を悪くして、都の窮屈な暮らしがいやになり、こういう物静かな山家にふさわしい縁でもあったら、身を落して田舎いなか 仕事に台所での働きでもしたいという望みで連れて参りました。持参金も二百両ばかり貯えがございます」 と、何気なくその場しのぎに出まかせをしゃべった。
何国いづく もあれ、俗の世の中なれば、このをば これに思ひつき、 「それは幸ひの事こそあれ、我が一子いつし 、いまだ定まる妻とてもなし。そなたものかぬ中なれば、これに」 と申しかけられ、さても気の毒増りける。おさん忍びてなみだ を流し、 「この行末ゆくすえ いかがあるべし」 と物思ふ所へ、かの男夜更よふ けて帰りし。
その様すさまじや。すぐれて背高せいたか く、かしら唐獅子からしし のごとくちぢみあがりて、ひげ は熊のまぎれて、まなこ 赤筋あかすぢ 立ちて光強く、足手そのまま松木にひとしく、身には割織さきおり を着て、藤縄ふぢなは組帯くみおび して、鉄炮てつぽう切火縄きりひなはかますうさぎ たぬき を取り入れ、これを渡世とせい すと見えける。その名を聞けば、 「岩飛いはとび 太郎」 とて、この里にかくれもなき悪人、都衆みやこしゆ縁組えんぐみ の事を母親語りければ、むくつげなる男もこれを喜び、 「ぜん は急ぎ、今宵こよひ のうちに」 と、鬢鏡びんかがみ 取出して、おもて を見るこそやさしけれ。
母はさかづき の用意とて、塩目黒しほめぐろ に、口の欠けたる酒徳利さかどくり を取りまはし、莚屏風むしろびやうぶ にて二枚じき ほどかこひて、木枕二つ、薄縁うすべり 二枚、横縞よこしま蒲団ふとん 一つ、火鉢に割松わりまつ 燃やして、このゆふべ一入ひとしほ にいさみける。
いずこも同じ、欲に目のない世の中のこと、この伯母はすぐ話しにのり、 「それは丁度幸いの事がある。私の一人息子も、まだ定まる妻とてもない。そなたは切っても切れぬ仲だから、是非これに」 と申し込まれ、いっそう難儀な事になった。おさんはひそかに涙を流し、 「これから先どうなることやら」 と思い悩んでいる所へ、問題の息子が夜更けて帰って来た。
見ると、その有様の物凄ものすご さ。背はとびきり高く、頭髪は唐獅子からじし のように縮み上って、ひげ は熊かと見紛うばかり、目には赤筋がはいってぎらぎら光り、足や手は松の木そのままである。身に割織さきおり を着て、藤縄ふじなわ の組帯を締め、鉄砲に切火縄を持ち、かます・・・うさぎたぬき を取って入れているから、猟師を渡世としていると見える。その名を聞くと、 「岩飛の是太郎ぜたろう 」 といって、この山里に誰知らぬ者ない乱暴者であった。都の女と縁組の事を母親が話すと、この恐ろしい男も喜び、 「善は急げじゃ。今夜のうちに」 と、懐中鏡を取り出し、わが顔を見るはしおらしかった。
母親は祝言の盃事さかずきごと の用意にと、塩目黒しおめぐろ に、口の欠けた酒徳利を取り揃え、莚屏風むしろびょうぶ で二畳ほど囲い、その中に木枕二つ、ござ二枚、横縞の蒲団一つを用意して、火鉢には割り松をともしび に燃やし、今宵こよい は一段とはりきっているように見えた。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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