丹波
の奥へ駆落かけお ちの身の上となって、道もない所の草を踏み分け、茂右衛門はおさんの手を引いて、やっとのことで高い峰に登ったが、やはり後の方が気がかりで恐ろしい。考えてみると生きていながら死んだ事になっているのは、自分の心からとはいえ、情けない事であった。さらに進んで行先は、木こりの足跡も見えず、道に踏み迷った身の哀れは今きわまり、おさんは女の身の弱々と足も運びかね、この苦しさ、息も絶えたかと見え、顔色も変わってきたので茂右衛門は悲しく、岩間を漏れる清水しみず
の雫しずく を木の葉に受けて、おさんの口に注ぎ、様々に介抱したけれども、次第に心細く、脈も弱りかすかになって、いよいよ今が最期という状態になった。 薬にするようなものとてもなく、ただ命が終わるのを待っている時、茂右衛門はおさんの耳元に口を寄せて、
「もう少し先へ行けば、知り合いのある村も近うございます。そこへ着いたら、この辛さも忘れ、思いのままに寝物語ができますのに」 と嘆いた。この言葉がおさんの耳に通じて、
「嬉しい、ほんとに命にかえて思い込んだ男だもにね」 と、気を取り直した。そうしてみると、おさんの魂には恋慕の心が入り替わったのか、恋の外ほかく
は何も思わぬその身が哀れで、また背負って行くうちに、小さな村の垣根かきね
に辿たど り着いた。 ここは京へ通ずる街道という事で、崖がけ
に馬も行き違うほどの道が付いている。藁わら
屋寝の軒先に杉の葉を折って掛け 「上上じょうじょう
諸白もろはく あり」 の看板を出し、餅もち
を売っているが、搗つ いてから幾日経ったのやら、埃ほこり
をかぶって白い色はなくなっている。片店には茶筅ちゃせん
・土人形・かぶり太鼓などが売っており、少し見慣れた品に京の匂いがするので元気付き、しばらく休んで嬉しさのあまり、主あるじ
の老人に金子きんす 一両与えたところ、猫ねこ
に傘からかさ を見せたように嫌な顔をして、
「お茶代を置きなされ」 と言う。 「さてさて京からここまで十五里も離れていないのに、小判を見知らぬ里もあるものか」 と、おかしくなた。 |