〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
中 段 に 見 る 暦 屋 物 語

2012/10/06 (土) し て や ら れ た 枕 の 夢 (五)

下々したじた の女ども、おさん様の御声立てさせらるる時、皆々かけつくる契約にして、手毎てごと に棒・乳切木ちぎりき手燭てしよく の用意して、所々ところどころ にありしが、宵よりの騒ぎに草臥くたび れて、我知らずいびき をかきける。
七つの鐘なりて後、茂右衛門下帯したおび をときかけ、くら がりに忍び、夜着よぎ の下にこがれて、裸身はだかみ をさし込み、心せくままに、言葉かはしけるまでもなく、よき事をしすまして、 「袖の移り香そをらしや」 と、又寝道具を引着ひきき せ、さし足して立退たちの き、 「さてもこざかしき浮世うきよ や、まだ今やなど、りんが男心おとこごころ はあるまじきと思ひしに、我先われさき に、いかなる人かものせし事ぞ」 と恐ろしく、かさ ねてはいかないかな、思ひとどまるにきは めし。

召使の女どもは、おさん様が声を立てられた時皆で駆けつける約束をし、手に手に棒や乳切木ちぎりき手燭てしょく などを用意して、所所に待機していたが、よい からの騒ぎに疲れ、我知らずいびき をかいて眠ってしまった。
七つの鐘がなった後、茂右衛門はふんどし を解きながら暗闇くらやみ の中を忍んで来た。夜着の中の人を恋焦こいこが れて、裸身のまますべりこみ、気がせくままに言葉をかわ すまでもなく、うまい事をやってのけ、 「そで の移り香もかわいいものだ」 と、また寝道具を引き寄せて着せ、抜き足で立ち退いたが、 「何という油断のならぬ世の中だろう。まだ今の年では、りん・・ など男を知っていまいと思っていたのに、おれより先に一体どんな奴が物にしたのだろう」 と恐ろしくなり、二度と会うまいと決心した。
その後、おさんはおのづから夢覚めて、驚かれしかば、枕はづれてしどけなく、帯はほどけて手元てもと になく、鼻紙のわけもなき事に、心はづかしくなりて、 「よもやこの事、人に知れざる事あらじ。この上は身を捨て、命かぎりに名を立て、茂右衛門と死出しで の旅路の道づれ」 と、なほ めがたく、心底しんてい 申し聞かせければ、茂右衛門、思ひのほか なる思はく違い、乗りかかつたる馬はあれど、君を思へば夜毎よごと に通ひ、人のとが めもかへりみず、ほか なる事に身をやつしけるは、追付おつつ け、生死しやうじ の二つ物掛ものが け、これぞあぶなし。
その後、おさんは自然と夢が覚めると、驚かれた事には、枕ははず れて乱れ、帯は解けて手元になく、鼻紙はめちゃめちゃになっている。知らぬ間に男にはだ を許していた事が分かり、恥ずかしくなって、 「よもやこの事が人に知れずにはすむまい。こうなったからは身を捨てて、命の限り浮名を立て、茂右衛門と死出の旅路の道連れになろう」 と、やむにやまれぬ覚悟の程を申し聞かせると、茂右衛門は全くとんだ予想違いで、りん・・ という乗りかかった馬はあったが、それからはおさん・・・ 様に打ち込んで夜毎よごと に忍び、人のとが めも無視して道にはず れた事に身を任せたのは、やがて生きるか死ぬか二つに一つの命の勝負、全く危ない事であった。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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