茂右衛門もながな事は、おさん様の手とも知らず、りんをやさしきとばかりに、おもしろをかしき返り事をして、又渡しける。これを読みかねて、御機嫌
よろしき折節をりふし 、奥様に見せ奉れば、
「思召おぼしめ しよりて、思ひもよらぬ御伝おんつた
へ、この方ほう も若い者の事なれば、いやでもあらず候さうら
へども、契ちぎ り重かさ
なり候へば、取上とりあ げ婆ばば
がむつかしく候、さりながら、着物きるもの
・羽織・風呂銭ふろせん 、身だしなみの事どもを、その方ほうから賃ちん
を御かきなされ候はば、いやながらかなへてもやるべし」 と、うちつけたる文章、 「さりとては、憎さも憎し、世界に男の日照ひで
りはあるまじ。りんも大方おほかた
なる生うま れ付き、茂右衛門め程なる男を、そもや持ちかねる事やある」
と、重ねて又、文にして嘆き、 「茂右衛門を引きなびけて、はまらせん」 と、かずかず書きくどきて、遣つか
はされける程に、茂右衛門 文面ふみづら
より、哀れ深くなりて、始めの程嘲あざけ
りし事のくやしく、そめそめと返事をして、 「五月十四日の夜は、定まって影待かげまち
ちあそばしける、かならず、その折を得て相見あひみ
る」 約束いひお越しければ、おさん様、いづれも女房にようぼう
まじりに声のある程は笑ひて、 「とてもの事に、その夜の慰なぐさ
みにもなりぬべし」 と、おさん様、りんになり代かは
らせられ、身を木綿きわた なる単物ひとへもの
にやつし、りん不断ふだん の寝所ねどころ
に、暁方あかつきかた まで待ち給へるに、いつともなく心よく御夢おんゆめ
を結び給へり。 |