〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
中 段 に 見 る 暦 屋 物 語

2012/10/06 (土) し て や ら れ た 枕 の 夢 (四)

茂右衛門もながな事は、おさん様の手とも知らず、りんをやさしきとばかりに、おもしろをかしき返り事をして、又渡しける。これを読みかねて、御機嫌ごきげん よろしき折節をりふし 、奥様に見せ奉れば、 「思召おぼしめ しよりて、思ひもよらぬ御伝おんつた へ、このほう も若い者の事なれば、いやでもあらずさうら へども、ちぎかさ なり候へば、取上とりあばば がむつかしく候、さりながら、着物きるもの ・羽織・風呂銭ふろせん 、身だしなみの事どもを、そのほうからちん を御かきなされ候はば、いやながらかなへてもやるべし」 と、うちつけたる文章、 「さりとては、憎さも憎し、世界に男の日照ひで りはあるまじ。りんも大方おほかた なるうま れ付き、茂右衛門め程なる男を、そもや持ちかねる事やある」 と、重ねて又、文にして嘆き、 「茂右衛門を引きなびけて、はまらせん」 と、かずかず書きくどきて、つか はされける程に、茂右衛門 文面ふみづら より、哀れ深くなりて、始めの程あざけ りし事のくやしく、そめそめと返事をして、 「五月十四日の夜は、定まって影待かげまち ちあそばしける、かならず、その折を得て相見あひみ る」 約束いひお越しければ、おさん様、いづれも女房にようぼう まじりに声のある程は笑ひて、 「とてもの事に、その夜のなぐさ みにもなりぬべし」 と、おさん様、りんになりかは らせられ、身を木綿きわた なる単物ひとへもの にやつし、りん不断ふだん寝所ねどころ に、暁方あかつきかた まで待ち給へるに、いつともなく心よく御夢おんゆめ を結び給へり。

茂右衛門も中の文章が、おさん様が書かれた文字とは知らず、りんを優しい女だとばかりに、ふざけ半分の返事を書いてまたよこした。これを読むことが出来ず御機嫌のよい時、奥様にお見せしたところ、 「私に思いをお寄せくださり、思いもかけぬお手紙、私も若い者の事ですので、いやでもありませんが、忍び いが重なれば、やがてはおなかが大きくなり、取上げのばば の心配をせねばならぬのが面倒です。ただし、着物・羽織・風呂銭など、私の身の回りをととのえる費用をそちらからお出しくださるなら、いやながら、お望みをかな えてあげましょう」 と、露骨で失礼な文面であった。おさんは、 「これはまたなんと憎らしい、世間に男の日照りはあるましし、りんも十人並みの生まれつき、茂右衛門めぐらいの男なら、そもそも待ちかねることがあろうか」 と、また重ねて、恋文を書いて口説くど き、 「茂右衛門をなびかせて、その上で一杯くわしてやりましょう」 と、数々の文章を書き連ねてやられた。茂右衛門はその文面に感じてりん・・ がいとしくなり、初めのうち馬鹿にした事が後悔され、しみじみとした返事をして、 「五月十四日の夜は、きまって影待かげまち ちをなさいます。その時にきっと機会をとらえて会いましょう」 と約束をしてきた。これを読んだおさん・・・ 様をはじめ女中達は、声の限り大笑いして、 「いっそのこと、その夜の慰みにもなりましょう」 と相談し、いよいよその晩、おさん様はりん・・ になり代わられ、木綿の単物ひとえ に姿を変え、りんのいつもの寝所に、明け方まで待っておられたが、いつの間にか、気持ちよく眠り込んでしまわれた。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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