〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
中 段 に 見 る 暦 屋 物 語

2012/10/06 (土) し て や ら れ た 枕 の 夢 (三)

折節、秋も夜風いたく、冬の事思ひやりて、身の養生やうじやう のためとて、茂右衛門やいひ 思ひたちけるに、腰元のりん、手軽く ゆる事をえたれば、これを頼みてもぐさ数捻かずひね りて、りんが鏡台にしま の木綿蒲団を折りかけ、初め一つ二つはこらへかねて、おうば から中居なかい からたけまでも、そのあたりをおさへて、顔しかむるを笑ひし。
あと 程煙強くなりて、塩灸しほやいひ を待ちかねしに、自然とおとして、背骨つたひて身の皮ちぢみ、苦しき事しばらくなれども、据え手の迷惑さを思ひやりて、目をふさぎ、歯を食ひしめ堪忍かんにん せしを、りん悲しくもみ消して、これより肌をさすりそめて、いつとなく、 「いとしや」 とばかり思ひ込み、人知れず心地ここち なやみけるを、のち沙汰さた して、おさん様の御耳に入れど、なほ めがたくなりぬ。
りんいや しかる育ちにして、物書く事にうとく、筆のたよりを嘆き、久七が心覚え程にじり書きをうらやましく、ひそかにこれを頼めば、茂右衛門よりは先へ、恋を我が物にしたがるこそうたてけれ。
是非ぜひ なく日数ひかず ふる時雨しぐれいつは りのはじめ頃、おさん様江戸へつか はされける御状ごじやう次手ついで に、 「りんが痴話文ちわぶみ 書きてとらせん」 と、ざらざらと筆をあゆませ、 「 のじ様まゐる、身より」 とばかり、引結ひきむす びてかいやり給ひしを、りんうれしく、いつぞの時を見合みあは せけるに、見世みせ より、 「煙草の火よ」 といへども、をり から庭に人なき事を幸ひに、その事にかこつけ、かの文を が事われ と遣はしにける。

時は丁度、秋も夜嵐よあらし がひどく吹くようになったので、冬の事を考え、体の健康の為に、茂右衛門はきゆう をすえようと思い立った。腰元のりん・・ が、簡単にすえることが出来るというので、これに頼んで、もぐさをたくさんひねっておき、りんの鏡台を借りて、縞木綿しまもめん蒲団ふとん を二つ折りにかけ、これに寄りかかってすえたが、初めの一つ二つは熱くて我慢できかねたのを、おうば から中居女、飯炊めしたき 女のたけまで総出で、灸のまわりを押えて、茂右衛門が顔をしかめるのを見て笑った。
後ほど勢いよく燃えて、最後の塩やいと・・・ を待ちかねていた時、ひとりでにもぐさ・・・ がすべり落ち、火の玉が背骨を伝わったので、茂右衛門は身の皮が縮みあがり、しばらく苦しくてたまらなかったが、すえてくれる人の迷惑を考えて、目をふさぎ、歯をくいしばって我慢していた。りんは気の毒がってやっともみ消し、この時初めて男のはだ をさすって以来、いつとなく、 「かわいい」 と一途に思い込み、人知れず恋に悩むようになって、後には人々の評判になり、おさん様の耳にまで入るようになったが、それでもやはりやめる事が出来なくなった。
りんは育ちが卑しくて、文字を書けず、恋文が送れないのを悲しく思い、下男の久七が、自分のメモになるだけのまずい字でも書けるのがうらや ましく、そっと代筆を頼むと、茂右衛門より先に、りんを我が物にしようとするのがいと わしかった。
仕方なく、むな しく月日が過ぎて、時雨しぐれ が降る十月の初め頃、おさん様が江戸へつか わされる手紙のつい でに、 「りんの恋文を書いてあげよう」 と、さらさらと筆を走らせて、 「茂の字様まいる、身より」 と書き終わって結び文にして投げてくださったのを、りんはうれ しく思い、いつかよい機会があったらとねら っていたところ、店の方から 「煙草たばこ の火をくれ」 と言ったが、ちょうど台所に誰もいなかったのを幸い、それにかこつけて恋文を自分で先方に渡したのであった。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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