〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
中 段 に 見 る 暦 屋 物 語

2012/10/06 (土) し て や ら れ た 枕 の 夢 (二)

次第に栄えて、うれしさ限りもなかりしに、この男。あづまかた に行く事ありて、京に名残なごり は惜しめど、身過みすぎ 程悲しきはなし。思ひ立つ旅姿、室町むろまち の親里にまかりて、あらましを語りしに、我が娘の留守ぢゆう を思ひやりて、 「よろづにかしこき人もがな、跡を預けて、表向おもてむ きをさばかせ、内証ないしよう は、おさんが心助けにもなるべし」 と、何国いづく もあれ、親の慈悲心じひしん より思ひつけて、年を重ねて召使みしつか ひける茂右衛門もうえもん といへる若き者を、婿むこの方へつか はしける。
この男の正直、かうべ は人まかせ、ひたひ 小さく、袖口五寸にたらず。髪置かみおき してこの方、編笠あみがさ をかぶらず、ましてや、脇差わきざし をこしらへず、ただ十露盤そろばん を枕に、夢にもかね まうけのせんさくばかりに明かしぬ。
次第に家が栄え、この上なくうれ しく思っていた時、夫は江戸へ行く用事ができた。京を離れ難く未練が残ったが、世渡り程つら いものはない。いよいよ旅立つ決心をして、室町の妻の実家に行って事情を話したところ、親達は娘が亭主の留守中不自由しないかと心配して、 「誰か万事に抜け目のない人はいないものか。そんな人があれば、留守を預けて店の仕事をさばかせ、また家事についてもおさん・・・ の相談相手になるだろう」 と、どこも変らぬ親の愛情から思いつき、長年その家で召し使っていた茂右衛門という手代を、婿むこ の所へつか わしたのであった。
この茂右衛門という男の実直さ、髪の形は人任せに結い、額も抜き揃えないので小さく、着物の袖口は五寸足らず、髪置してこのかた編笠あみがさ をかぶって色里に通った事もなく、ましてや脇差わきざしこしら えず、ただ算盤そろばん 枕に、夢の中でも金儲かねもう けの工夫ばかりして夜を明かすのであった。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
Next