〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
中 段 に 見 る 暦 屋 物 語

2012/10/05 (金) し て や ら れ た 枕 の 夢 (一)

男世帯おとこぜたい気散きさ じなるものながら、お内儀ないぎ のなき夕暮、一入ひとしほ 淋しかりき。ここに大経師だいきやうじ のなにがし、年久しくやもめ住みせられける。
都なれや、物好きの女もあるに、品形しなかたち すぐれてよきを望めば、心にかな ひがたし。 びぬれば身を浮草うきくさ のゆかり尋ねて、今小町いまこまち といへる娘ゆかしく、見にまかりけるに、過ぎし春、四条にせき すゑて見とがめし中にも、藤をかざして、覚束おぼつか なきさましたる人、 「これぞ」 とこがれて、なんのかのなしに、縁組をとり 急ぐこそをかしけれ。
その頃、下立売烏丸上しもたちうりからすまあがル町に、しやべりのなるとて、隠れもなき仲人なかうど かか あり。これを深く頼み樽のこしらへ、願ひ首尾して、吉日をえらびて、おさんを迎へける。
花のゆふべ 、月のあけぼの 、この男、外をなが めもやらずして、夫婦の語らひ深く、三年みとせ が程も重ねけるに、明暮あけくれ 、世をわたる女のわざ を大事に、手づからべんがら糸に気をつくし、末々の女に手紬てつむぎ を織らせて、わが男の見よげに、始末をもと とし、かまど も大くべさせず、小遣帳こづかひちやう を筆まめに改め、町人の家にありたきは、かようの女ぞかし。

男だけの世帯も気楽なものだが、奥様のいない家の夕暮れ時は格別さび しいものである。さて、ここに大経師だいきょうじなにがし という人は、長い間やもめ暮しをしておられた。
さすが都のことだけあって、凝ったおしゃれの女も多いのだが、特に上品で器量のすぐ れたのを望んだので、気に入る者がなかなかいない。やもめ暮らしにも困り果ててしまい、今小町という評判娘に心を引かれ、見に行ったところ、これがこの春、四条に関を構えて目利めき きした女達の中でも、藤の花をかついでなよなよと通った例の美女だったので、 「これだ」 と恋いこが がれ、何のかのと文句も言わず、縁組をむやみと取り急ぐのもおかしかった。
その頃、下立売烏丸しもたちうりからすま上ル町に、しゃべりのなる・・ という有名な仲人なこうど 専門のかか があった。この嚊に深く頼み込み、結納ゆいのう酒樽さかだる を用意して送り、願い通りに縁談がまとまって、吉日を選んで式を挙げ、おさん・・・ を妻に迎えたのであった。
花のゆうべ も、月のあけぼの も、この亭主はおさん以外どんな美しいものも目に入らず、夫婦の仲はまことにむつ まじく、三年程 った。おさんは、明け暮れ、世を渡る女の仕事を大事にして、自ら苦労して、べんがらじま の糸作りに精を出し、下女どもにはつむぎ を織らせて、わが夫の身なりをさっぱりさせ、倹約を第一にし、かまどまき を無茶にたかせず、小遣こづかい 帳を面倒がらずに吟味して付けた。町人の家にありたいのは、このよな女である。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
Next