〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
中 段 に 見 る 暦 屋 物 語

2012/10/04 (木) 姿 の せき もり (二)

大方は女中乗物のりもの 、見えぬが心にくし。乱れあり きの一むれ 、いやなるもなし。これぞと思ふもなし。 「とかくはよろしき女ばかり書きとめよ」 と、硯紙すずりかみ 取り寄せて、それを写しけるに、年の程三十四五と見えて、首筋くびすぢ 立ちのび、目の張りりんとして、ひたいぎは 、自然とうるはしく、鼻、思ふにすこし高けれども、それも堪忍かんにん ごろなり。下に白?しろぬめ引返ひつかへ し、中に浅黄?あさぎぬめ引返ひつかへ し、上に椛?かなぬめ引返ひつかへ しに、本絵ほんゑ にかかせて、左の袖に吉田の法師が面影おもかげ 、ひとりともしび のもとに古き文など見ての文段もんだん 、さりとは子細しさい らしき物好ものごの み、帯は敷瓦しきがはら の折り天鵞?びろうど御所被衣ごしよかづき の取りまはし、薄色の絹足袋、三筋緒みすぢを雪踏せつた 、音もせずあり きて、わざとならぬ腰のすわり、 「あの男めが果報」 と見る時、何か下々したじた に物をいふとて、口をあきしに、下歯一枚抜けしに恋をさま しぬ。

大方の女は女中乗物に乗って行くので、姿の見えないのが心残りである。ぞろぞろと群がって行く一群にも、いやと思われる女はいないが、一方、これこそと思う美女もいない。 「とにかく一応の女だけを書きとめておけ」 というので、すずり や紙を取り寄せて、一々これを書き写したが、まず、年の頃は三十四、五と見えて、首筋がすらりとして、目はぱっちりと張りがあり、額のぎわ が生まれつき美しく、鼻は欲を言えば少し高いが、それもまあ我慢できる程である。下着には白?しろぬめ の引返し、中着に浅黄?あさぎぬめ の引返し、上着には樺?かばぬめ の引返しであるが、そてに本絵で、左のそで に兼好法師の肖像、例の、ひとり燈火の下に古い文など見てのくだりを描かせたのは、まったく凝った趣向である。帯は市松いちまつ 模様を織り出したビロード、御所風の被衣かずき の着こなしよく、薄紫の絹足袋きぬたび 、三筋緒の雪踏せった で、音も立たず歩いて行く。その腰の自然とすわり具合のよさ。 「あんな女の亭主めは何としあわせなやつだ」 と見ている時、何か召使に物を言おうとして口を開くと、下歯が一枚抜けていたので、恋心が一遍にさめてしまった。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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