〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
中 段 に 見 る 暦 屋 物 語

2012/10/04 (木) 姿 の せき もり (一)

天和二年のこよみ 正月一日、吉書きつしよ よろづによし。二日、姫はじめ、神代かみよ の昔より、この事、恋知鳥こひしりどり の教へ、男女なんによ のいたづら む事なし。
ここに大経師だいきやうじ美婦びふ とて、浮名うきな の立ち続き、都になさけ の山を動かし、祗園会ぎおんゑ月鉾つきぼこかつら の眉をあたそひ、姿は清水きよみづ の初桜、いまだ咲きかかる風情ふぜい 、唇のうるはしきは高尾たかお木末こずゑ 、色のさかりなが めし。住み所は室町通むろまちどほり仕出しだ衣裳いしやう の物ごの み、当世たうせい 女のただ中、広い京にも又あるべからず。
人の心も浮き立つ春深くなりて、安井の藤、今を紫の雲のごとく、松さへ色を失ひ、たそがれの人立ち、東山に又姿の山を見せける。
折節をりふし 、洛中に隠れなき騒ぎ仲間の男四天王してんわく風儀ふうぎ ひと にすぐれて目立ち、親よりゆづりのあるにまかせ、元日より大晦日おほつごもり まで、一日も色に遊ばぬ事なし。昨日きのふ島原しまばら に、唐土もろこし花崎はなさきかをる高橋たかはし に明し、今日は、四条川原かはら の竹中吉三郎・唐松からまつ 歌仙かせん ・藤田吉三郎きちさぶろう光瀬みつせ 左近さこん など愛して、衆道しゆだう女道によだう を昼夜のわかちもなく、さまざま遊興いうきよう つきて、芝居しばい 過ぎより松屋といへる水茶屋に居ながれ、 「今日程、見よき地女ぢおんな の出し事もなし。もしも我等われら が目にうつくしきと見しもある事もや」 と、役者のかしこきやつを目利頭めききがしら に、花見帰りを待つ暮々くれぐれ 、これぞかはりたる慰みなり。

天和二 (1682) 年の暦を見ると、正月一日、吉書よろずによし、二日 姫始めと書いてあるが、神代の昔からこの男女の交わりを、恋知り鳥のせきれい・・・・ が教えて、男女の道ならぬ恋はやむ事がない。
ここに大経師だいきようじ の美人の妻と大評判の女があった。京の男どもの心をときめかし、三日月のまゆ祗園会ぎおんえ月鉾つきぼこ とその美しさを争い、姿は清水きよみず の初桜がようやく咲きそめる初々いういう しさ、朱唇の麗しさは高雄の紅葉のこずえ 、盛りの色かと眺める程であった。その住所は室町通むろまちどおり 、新趣向を凝らした衣裳の好みもよく、これこそ当世女の随一、広い京に並ぶ者とてもなかった。
人の心も浮き立つ春もようやくたけて、安井の藤が今真っ盛り、まるで紫の雲のようにたなびき、松の緑さえ色を失う程で、夕暮れ近く藤見の人出は、東山の上にまた人の山を築いたようであった。
丁度その頃、都中に知れ渡った遊蕩ゆうとう 仲間の四天王と言われる男達があった。彼等は皆、人より風采ふうさい が立派で目立ち、親の遺産があることをよい事に、元日から大晦日おおみそか まで、一日として色遊びをしない事はなかった。昨日は島原で大夫たゆう唐土もろこし ・花崎・かおる ・高橋を相手に明し、今日は四条河原で役者の竹中吉三郎・唐松歌仙からまつかせん ・藤田吉三郎・三瀬左近みつせさこん などを愛して、男色・女色に昼夜の別もなく、様々の遊びをし尽くして、芝居がはねた後は松屋という茶屋に行き、ずらりと並んで腰掛け、 「今日程、見かけのよい町女が出た事もない。この中に、もし我々の目にすばらしいと見えるのがいるかもしれない」 と、役者の気の利いたやつ目利めき きのかしら に、夕暮れて花見から帰る女達を待ち受けたのは、実に変った慰みであった。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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