ここに、樽屋が女房も、日頃御懇
なれば、 「御勝手ごかつて にて働く事も」
と、御見舞みまひ 申しけるに、かねて、才覚さいかく
らしく見えければ、 「そなたは、納戸なんど
にありし菓子の品々を縁高ふちたか
へ組付くみつ けて」 と申せば、手元見合みあは
せ、饅頭まんぢゆう ・御所柿ごしよがき
・唐胡桃たうぐるみ ・落雁らくがん
・榧かや ・杉楊枝すぎやうじ
、これをあらましに取合とりあは
す時、亭主の長左衛門、棚より入子鉢いれこばち
を下おろ ろすとて、おせんが頭かしら
に取落とりおと し、うるはしき髪の結目ゆひめ
、たちまちとけて、主あるじ 、これを悲しめば、
「すこしも苦しからぬ御事」 と申して、かい角つの
ぐりて、台所へ出けるを、麹屋かうぢや
の内儀ないぎ 、見とがめて気をまはし、
「そなたの髪は、今の先までうつくしくありしが、納戸なんど
にて俄にはか にとけしは、いかなる事ぞ」
といはれし。 おせん、身に覚えなく、物しづかに、 「旦那殿、棚より道具を取落し給ひ、かくはなりける」 と、ありやうに申せど、これをさらに合点がてん
せず、 「さては、昼も棚から入子鉢いれこばち
の落つる事もあるよ。いたづらなる七つ鉢め、枕せずにけはしく寝れば、髪はほどくる物ぢゃ。よい年をして、親の弔とむら
ひの中にする事こそあれ」 と、人の気つくして盛形刺身もりかたさしみ
を投げこぼし、酢す にあて粉こ
にあて、一日いちにち この事いひ止や
まず。後は、人も聞耳ききみみ
立てて興覚さ めぬ。 |