〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
なさけ を 入 れ し たる 物 語

2012/10/02 (火) 木 屑 の すぎ やう 一 寸 先 の 命 (一)

「来ル十六日に、無菜ぶさい の御とき 申上まうしあ げたく候。御来駕らいが においては、かたじけな奉存ぞんじたてまつり 候。町衆ちやうしゆ 、次第不同、麹屋かうぢや 長左衛門」 。
世の中の年月の立つ事夢まぼろし、はや、過ぎゆかれし親仁おやぢ 、五十年忌になりぬ。我ながらへてこれまでとむら ふ事うれし。古人の申し伝へしは、 「五十年忌になれば、朝は精進しやうじん して、くれ は魚類になして、うたひ酒盛さかもり 、その後はとはぬ事」 と申せし。これがをさ めなれば、すこし物入りもいとはず、万事その用意すれば、近所の出入りのかか ども集まり、わん 家具かぐ ・壺・ひら ・るす・ちやつまで取りさばき、手毎てごと にふきて膳棚ぜんだな に重ねける。

「来る十六日に無菜ぶさい の御とき を差し上げとう存じます。お出かけいただければありがたく存じます。町内御方方様、順序不同。麹屋こうじや 長左衛門」 と法事の案内を回した。
この世の年月の経過はまったく夢まぼろしのように早いもので、もう くなられた親父の五十年忌になった。自分はこの年まで生きながらえて五十年の法事まで営む事が出来るとはうれ しい事である。昔の人の申し伝えによると、 「五十年忌にもなれば、朝だけは精進して、夕方は魚類の料理にして、謡をうたい、酒盛をする。そしてその後はもう法事をしないでよい」 ということである。これが最後の法事であるから、少しぐらいの入費はかまわず、万事そのつもりで用意をしたので、近所の出入りの女房どもが集まって手伝い、おわん壺皿つぼざら平皿ひらざら豆子るす楪子ちゃつ まで取り出し、手に手に いて、膳棚ぜんだな に重ねるのであった。

『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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