〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
なさけ を 入 れ し たる 物 語

2012/10/02 (火) こ け ら は 胸 の たき つけ さら たい (三)

されば、一切いつさい の女、移り気なる物にして、うまき色咄いろばなしうつつ をぬかし、道頓堀だうとんぼり の作り狂言をまことに見なし、いつともなく心をみだし、天王寺てんわうじ の桜の散り前、藤の棚のさかりに、うるはしき男にうかれ、帰りては、一代養ふ男を嫌ひぬ。これほど無理なる事なし。それより、よろづの始末心しまつごころ を捨てて、大焼きするかまど を見ず、塩が水になるやら、いらぬ所に油火をともすもかまはず、身代しんだい のうすくなりて、暇の明くるを待ちかねける。かやうの語らひ、さりとはさりとは恐ろし。しに 別れては、七日も立たぬに後夫ごふ をもとめ、去られては、五度七度の縁付き、さりとは口惜しき下々したじた心底しんてい なり。上々うへうへ には、かり になまき事ぞかし。女の一生にひとりの男に身をまかせ、さはりあれば、御若年ごにやくねん にして河州かしう道明寺だうみやうじ南都なんと法花寺ほつけじ にて、出家をとげらるる事もありしに、なんぞ、かくし男をする女、浮世うきよ にあまたあれども、男も名の立つ事を悲しみ、沙汰さた なしに里へ帰し、あるいは、見付けて、さもしくも金銭の欲にふけて、あつか ひにして済まし、手ぬるく命を助くるがゆゑに、この事の止みがたし。世に神あり、むく いあり、隠しても知るべし、人恐るべきこの道なり。

ところで、すべての女というものは気の変りやすいもので、甘い色恋話に夢中になり、道頓堀どうとんぼり の芝居の作り狂言を誠の事と思い込み、いつとなく本心を取り乱し、天王寺の桜の花の散る前やふじたな の花盛りに、美しい男を見ては心浮かれ、わが家に帰ると、一生養ってくれる亭主をきら うのであった。世の中にはこれほど無理な事はない。だが、いったんそうなると、万事に倹約の心を捨て、大くべするかまど の火にも注意せず、塩は溶けて水になるやら、無用の所に油火をともしていてもかまわず、財産が乏しくなって離縁されるのを待ちかねている有様である。このような夫婦仲というものは、まったく恐ろしい事である。夫に死に別れると、初七日も経たぬうちに二度目の夫を探し、離別されると、五度も七度も縁付きするなど、まったく情けない下々の心根でる。上つ方には、かりそめにもそのような事はないのである。女の一生に一人の男に身をまかせ、もし何か故障でもあれば、年若の御身で、河内かわち の道明寺や奈良の法華ほっけ 寺で出家をされる事もあるのに、何という事であろうか。間男まおとこ する女も、この世間に多くいるけれども、夫も悪い評判の立つのを悲しみ、何も言わずにそっと実家へ帰し、あるいは現場をおさえても、さもしくも金銀の欲に目がくらんで、示談じだん にして済まし、生ぬるく命を助けるために、姦通沙汰かんつうざた が止み難いのである。世には神もあれば、報いという事もある。どんなに隠しても悪事は知れるものである。だから、人として恐れ慎むべきは、この色の道である。

『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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