かかる折節
、鶏にはとり とぼけて宵鳴きすれば、大釜かま
自然とくさりて底を抜かし、搗つき
込し朝夕てうせき の味噌みそ
風味ふうみ かはり、神鳴かみなり
、内蔵うちぐら の軒端のきば
に落ちかかり、よからぬ事うち続きし。これ皆、自然の道理なるに、この事気に懸けられし折から、誰がいふともなく、 「せんをこがるる男の執心しふしん
、今に止や む事なく、その人は樽屋なるは」
と申せば、親方伝へ聞きて、 「何とぞして、その男にせんをもらはさん」 と、横町の嚊かか
を呼びよせ、内談ないだん ありしに、
「常常せん申せしは、男持つとも職人はいや、といはれければ、心ともなし」 と申せば、 「それはいらざる物好ごの
み、何によらず世をさへ渡らば勝手づく」 と、さまさま異見いけん
して、樽屋へ申し遣つか はし、縁の約束極きは
め、ほどなくせんに脇ふさがせ、鉄漿かね
を付けさせ、吉日きちじつ を改められ、二番の木地きぢ
長持ながもち ひとつ、伏見ふしみ三寸の葛籠つづら
一荷いつか 、糊地のりぢ
の挟箱はさみばこ 一つ、奥様着下きおろ
しの小袖二つ、夜着よぎ 蒲団ふとん
、茜縁あかねべり の蚊屋かや
、昔染じめ の被衣かづき
、取りあつめて物数ものかず 二十三、銀二百目付けて送られけるに、相性あひしやう
よく、仕合しあは せよく、夫は正直の頭をかたぶけ、細工さいく
をすれば、女はふしかね染ぞめ
の縞を織りならひ、明暮あけくれ
かせぎける程に、盆前ぼんまへ
、大晦日おほつごもり にも内を出違ふほどにもあらず、大方おほかた
に世を渡りけるが、殊更こおさら
、男を大事に掛け、雪の日、風の立つ時は飯注めしつ
ぎを包み置き、夏は枕に扇をはなさず、留守るす
には、宵から門口をかため、ゆめゆめ外の人には目をやらず、物を二ついへば、 「こちのお人 こちのお人」 とうれしがり、年月つもりてよき中に、ふたりまで生まれて、なほなほ男の事を忘れざりき。 |