「参るならば参ると、内へ知らして参らば、通し駕籠
か、乗掛のりかけ で参らすに、物好きなる抜参ぬけまゐ
りして、この土産物みやげもの
は、どこの銭で買うたぞ。夫婦つれだちても、そのその、そんな事はせぬぞ。ようもようも、二人づれで下向げかう
した事ぢやまで。久七や、せんが酒迎さかむか
ひに寝所ねどころ をしてとらせ。あれは女の事じゃが、久七がすすめて、知恵ない神に男心おとこごころ
を知らすといふ物じゃ」 と、お内儀ないぎ
様の御腹立ごふくりふ 、久七が申しわけ、一つも埒らち
あかず、罪なうしてうたがはれ、九月五日の出替でかは
りを待たず御暇おいとま 申して、その後は、北浜の備前びぜん
屋といふ上問屋かみどひや に、季き
を重ね、八橋やつはし の長といへる蓮葉はすは
女を女房にして、今見れば、柳小路せうぢ
にて、鮓屋すしや をして世を暮し、せんが事、つい忘れける。人は皆移り気なる物ぞかし。 せんは、別の事なく奉公をせしうちにも、樽屋が仮かり
の情なさけ を忘れかね、心もそらに、うかうかとなりて、昼夜ちうや
のわきまへもなく、おのづから身を捨て、女に定まつてのたしなみをもせず、その様いやしげになりて、次第しだい
々々しだい やつれける。 |