〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
なさけ を 入 れ し たる 物 語

2012/10/01 (月) こ け ら は 胸 の たき つけ さら たい (一)

「参るならば参ると、内へ知らして参らば、通し駕籠かご か、乗掛のりかけ で参らすに、物好きなる抜参ぬけまゐ りして、この土産物みやげもの は、どこの銭で買うたぞ。夫婦つれだちても、そのその、そんな事はせぬぞ。ようもようも、二人づれで下向げかう した事ぢやまで。久七や、せんが酒迎さかむか ひに寝所ねどころ をしてとらせ。あれは女の事じゃが、久七がすすめて、知恵ない神に男心おとこごころ を知らすといふ物じゃ」 と、お内儀ないぎ 様の御腹立ごふくりふ 、久七が申しわけ、一つもらち あかず、罪なうしてうたがはれ、九月五日の出替でかは りを待たず御暇おいとま 申して、その後は、北浜の備前びぜん 屋といふ上問屋かみどひや に、 を重ね、八橋やつはし の長といへる蓮葉はすは 女を女房にして、今見れば、柳小路せうぢ にて、鮓屋すしや をして世を暮し、せんが事、つい忘れける。人は皆移り気なる物ぞかし。
せんは、別の事なく奉公をせしうちにも、樽屋がかりなさけ を忘れかね、心もそらに、うかうかとなりて、昼夜ちうや のわきまへもなく、おのづから身を捨て、女に定まつてのたしなみをもせず、その様いやしげになりて、次第しだい 々々しだい やつれける。

「お参りをするならすると、家へ知らせて参ったら、通し駕籠かご か乗掛け馬でお参りさせたのに、物好きな抜け参りなどして、この土産物は、どこの銭で買うたのじゃ、たとえ夫婦一緒でお参りしても、そのその、そんな事はしないよ。それをよくもよくも二人連れでぬけぬけと帰って来られたことじゃ。久七やおせん・・・酒迎さかむか えに寝床をとっておやり。おせんは何も知らぬ女なのに、久七がそそのかして、知恵ない神に知恵をつけ、男心を知らせるというものじゃ」 と、ご内儀様のご立腹に、久七いくら弁解しても、一つも信用してもらえず、罪もないのに疑われ、九月五日の出替でかわ りの日を待たずに、お暇をいただいて、その後は北浜の備前屋びぜんや という上問屋かみどいや で年季を重ね、八橋やつはし の長という蓮葉はすは 女を女房にして、現在は柳小路しょうじすし 屋をして暮らし、おせんのことはいつの間にか忘れてしまっている。人間というものは皆気の変わりやすいものである。
おせんは、別に変ったこともなく奉公を続けているうちにも、樽屋のかりそめの情けを忘れかねて、心も」そわそわと落ち着かず、うかうかと日を送って、昼夜の区別もつかぬようになり、自然とわが身なりをかまわず、女に定まった身だしなみもせず、姿がみずぼらしくなって、しだいにやつれてしまった。

『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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