〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
なさけ を 入 れ し たる 物 語

2012/10/01 (月) 京 の 水 も ら さ ぬ 中 忍 び て あひ くぎ (六)

夜の内はたがひ いに恋に関をすゑ、 けの日は相坂あふさか 山より大津おほつうま 馬を借りて、三宝荒神さんぽうくわうじん に、男女のひとつに乗るを、脇から見てはをかしけれども、身の草臥くたび れ、あるひは思ひ入れあれば、人の見しも世間もわきまへなし。おせんを中に乗せて、樽屋、久七、両脇に乗りながら、久七、おせんが足の指先をにぎれば、樽屋は、脇腹に手をさし、忍び忍びたはぶれ、その心のほどをかし。
いづれも御参宮ごさんぐう の心ざしにあらねば、内宮ないくう二見ふたみ へも掛けず、外宮げくう ばかりへ、ちよつと参りて、しるし ばかりに、お祓串はらひぐし若和布わかめ調ととの へ、道中両方白眼にら みあひて、何の子細もなく、京まで下向げかう して、久七が才覚さいかく の宿に着けば、樽屋は、取替へし物ども、目の 算用さんよう にして、 「このほど は何分御厄介になりまして」 と一礼いうて別れぬ。久七、今夜は我が物にして、それぞれの土産物みやげもの を見出して買うてやりける。
日の暮るるも待ちひさしく、烏丸からすまる のほとりへ、ちか しき人ありて見舞ひしうちに、かか はおせんを連れて、清水きよみづ 様へ参るの由、取急ぎ宿を出て行きしが、祗園ぎおん 町の仕出しだ弁当屋べんたうや釣簾すだれ付紙つけがみ目印めじるしきりのこぎり を書き置きしが、この内へおせんが入るかと見えしが、ちゆう 二階にあが れば、樽屋出合ひ、末々約束のさかづき 事して、その後、かか は箱階子はしご りて、 「ここはさて ここはさて水がよい」 とて、煎じ茶はてしもなく呑みにける。これをちぎり りのはじめにして、樽屋は、昼舟ひるぶね に大坂に下りぬ。
嚊、おせんは宿に帰りて、にはか に、 「今からくだ る」 といへば、 「是非ぜひ 二三日は都見物」 と、久七とどめけれども、 「いや いや、奥様に、男ぐるひなどしたと思はれましてはいかが」 と出て行く。 「風呂敷づつみ は、大儀たいぎ ながら久七殿頼む」 といへば、 「肩が痛む」 とて持たず。大仏だいぶつ稲荷いなり の前・藤の森に休みし茶の銭も、めいめい払ひにして下りける。

夜のうちはお互いに恋の邪魔をし合って、翌日は相坂おうさか 山から大津馬を雇い、三宝荒神さんぽうこうじん に乗り、男女三人が、一緒に馬に乗るのを、わき から見るとおかしいけれども、体のくたびれもあり、また心の底でもくろんぢる事もあるので、人の見るのも、世間体せけんてい もかまわなかった。おせんを真ん中に乗せて、樽屋と久七とは両脇に乗りながら、久七が、おせんの足の指先を握ると、樽屋は、おせんの脇腹にてを差し込み、ひそかに戯れたが、それぞれの心の内を思うとおかしかった。
誰もご参宮が目的ではないので、内宮ないくう二見ふたみ へも回らず、外宮げくう ばかりへちょっとお参りして、お印ばかりに、お祓串はらいぐしいただ き、わかめを買いととのえ、帰りの道すがらも両方にらみ合いのまま何事もなく京都までたどり着き、久七が世話をした宿に到着すると、樽屋は互いに立て替えた銭をめのこで清算し、 「この度は、いろいろとご厄介やっかい になりまして」 と礼を述べて別れた。久七は、今やおせんをわが物にしたつもりで、嚊とおせん二人それぞれにみやげ物を見立てて買ってやった。
日が暮れるのも待ち遠しいので、久七が烏丸からすまる の近所に親しい人があるのをたず ねて行った間に、嚊はおせんを連れて、清水きよみず 様へお参りするといって、急いで宿を出て行ったが、祗園ぎおん 町の仕出し弁当屋のすだれ に紙が付けてあって、目印にきりのこぎり が書いてあるのを見て、その家へおせんが入るや、そのまま中二階へ上ると、ここに樽屋が出迎え、行く末久しく変らぬ夫婦約束の酒盛をした。その後、かか はひとり箱梯子はこはしご を下りて来て、 「ここはさてさて水のよい所じゃ」 と、せん じ茶をいつまでも飲み続けるのであった。これを夫婦の縁の始として、樽屋たるや は、昼舟に乗って大阪に下って行った。
嚊とおせんは、宿に帰って、急に 「今から大阪に下る」 と言い出すと、急七は、 「ぜひ二、三日は都見物をして」 と止めたけれども、 「いやいや、奥様に男狂いをしたなどと思われましては困りますから」 と出て行く。 「風呂敷包みはご苦労ながら、久七殿お願いします」 と言っても、久七は、 「肩がいたむから」 と言って持ってくれず、大仏・稲荷いなり の前・藤の森で休んだ時のお茶代も、三人めいめい払いにして下ったのであった。

『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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