〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
なさけ を 入 れ し たる 物 語

2012/09/30 (日) 京 の 水 も ら さ ぬ 中 忍 び て あひ くぎ (四)

やうやう、秋の日も山崎にかたむき、淀堤よどづつみ の松陰なかば行きしに、色つくりたる男の、人待ち顔にて、丸葉の柳の根に腰をかけしを、近くなりて見れば、申しかは せし樽屋なり。
不首尾を目 ぜして、あとさき になりて行くこそあんほか なれ。嚊は樽屋に言葉をかけ、 「こなたも伊勢参りと見えまして、しかもおひとり、気立てもよき人と見ました。こなたと一しよ の宿に」 と申せば、樽屋喜び、 「旅は人のなさけ とかや申せし、万事頼みます」 といへば、久七なかなか合点がてん のゆかぬ顔して、 「行方ゆくへ も知れぬ人を、ことに、女中のつれには思ひよらず」 といふ。かかなさけ らしき声して、 「神は見通し。おせん殿には、こなたといふつはもの あり。何事かあるべし」 と、鹿島だち の日より、同じ宿に泊り、思はく語らすすきを見るに、久七気をつけ、あひ の戸障子をひとつにはづし、水風呂すいふろ に入りても、首出して覗き、日暮れて夢結ぶにも、四人同じ枕をならべし。

ようやく秋の日も山崎のあたりに落ちかかり、淀川堤よどがわづつみ の松並木の木陰伝いに半分ほど行った所に、めかしこんだ男が、人待ち顔で、丸葉柳の根元に腰掛けているのを、近づいて見ると、それが約束をした樽屋たるや であった。
不首尾ふしゅび を目くばせで知らせ、あと や先になって行くとは、思いもよらぬ手違いである。嚊は樽屋に言葉をかけて、 「あなたも伊勢参りと見えまして、しかもおひとり、気立てもよいお方とお見受けしました。私どもと一緒の宿に」 と言うと、樽屋は喜んで、 「旅は道連れ世は情けとか申します。万事お頼み申します」 と言えば、久七いっこうに納得のいかぬ顔をして、 「どこの誰とも分からぬ者を、ことに女の旅の道連れにはとんでもない」 と言う。嚊は親切そうな声を出して、 「神様はお見通しじゃ。おせん殿には、あなたという頼もしい男がついている。何の気遣いがありましょう」 と、出発の日から、同じ宿に泊り、思いのほどを語らせる機会をうかがっていると、久七は気をつけて、あい の戸障子をはずして部屋を一つにし、据風呂すえぶろ にはいっても、首を出してのぞ き、日が暮れて眠る時にも、四人が同じまくら を並べるのだった。

『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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