〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
なさけ を 入 れ し たる 物 語

2012/09/29 (土) 京 の 水 も ら さ ぬ 中 忍 び て あひ くぎ (三)

「それがしも、つねづね御参宮ごさんぐう 心賭けしに、願ふ所の道づれ、荷物は我等われら 持つべし。さいは ひ、つかぎん はありあはす。不自由なる目は見せまじ」 と親しく申しは、久七も、おせんに下心したごころ あるゆゑぞかし。かか 気色きしよく かへて、 「女に男の同道どうだう 、さりとはさりとは、人の見てよもやただとはいはじ。殊更ことさら 、この神は、さやうの事をかたく嫌ひ給へば、世に恥さらせし人、見及び聞伝へしなり。ひらにひらに参り給ふな」 といへば、 「これは思ひもよらぬ事を改めらるる。おせん殿に心をかくるにはあたず。ただ信心の思ひ立ち、それ恋は祈らずとても神の守り給ひ、心だにまことの道づれに叶ひなば、日月のあはれみ、おせん様の情次第に、何国いづく までも参りて、下向げかう には京へ りて、四五日もなぐさめ、折節おりふし 、高尾の紅葉もみぢ嵯峨さが の松茸のさかり、川原町かはらまち に旦那の定宿ぢやうやど あれども、そこはよろづにむつかし。三条の西詰にしづめ に、ちんまりとした座敷を借りて、おかか 殿は六条参ろくでうまゐ りをさせましよ」 と、我が物にして行くは、久七がはまりなり。

それがしも、常々ご参宮したいと心がけていたのに、願ってもない道連れ。荷物はわしが持ってあげよう。幸いに、旅費は持ち合わせているから、不自由な目にはあわすまい」 と親切に言うのは、久七もおせんに恋の下心したごころ があるからである。嚊は顔色を変えて、 「女の旅に男の道連れ、それこそ人が見て、よもやただ事とは言うまい。ことさら、この神様は、そんなふしだらをひどくおきら いだから、神罰を受けて世間に恥をさらした人も、見たり聞いたりしておる。決して決してお参りなさるな」 と言うと、 「これは思いもよらぬ事をせんさくされるものだ。決して、おせん殿に心をかけての事ではござらぬ。ただ神信心からの思い立ち、そもそも恋というものは祈らなくても神様がお守りくださって、心さえ誠の道にかなう道連れならば、日月も哀れみをかけてくださる道理、おせん様のお情次第に、どこまでも一緒に、帰り道には京へ寄って、四、五日逗留とうりゅう して気晴ししよう。ちょうど今は高雄の紅葉もみじ嵯峨さが松茸まつたけ の盛り、河原町には段なの定宿じょうやど があるが、そこは万事面倒ゆえ、三条の橋の西詰めにちんまりした座敷を借りて、お嚊殿には六条参りをさせましょ」 と、わが物にした気になってゆくのは、まったく久七が鼻の下をのばした失敗であった。

『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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