それがしも、常々ご参宮したいと心がけていたのに、願ってもない道連れ。荷物はわしが持ってあげよう。幸いに、旅費は持ち合わせているから、不自由な目にはあわすまい」
と親切に言うのは、久七もおせんに恋の下心
があるからである。嚊は顔色を変えて、 「女の旅に男の道連れ、それこそ人が見て、よもやただ事とは言うまい。ことさら、この神様は、そんなふしだらをひどくお嫌きら
いだから、神罰を受けて世間に恥をさらした人も、見たり聞いたりしておる。決して決してお参りなさるな」 と言うと、 「これは思いもよらぬ事をせんさくされるものだ。決して、おせん殿に心をかけての事ではござらぬ。ただ神信心からの思い立ち、そもそも恋というものは祈らなくても神様がお守りくださって、心さえ誠の道にかなう道連れならば、日月も哀れみをかけてくださる道理、おせん様のお情次第に、どこまでも一緒に、帰り道には京へ寄って、四、五日逗留とうりゅう
して気晴ししよう。ちょうど今は高雄の紅葉もみじ
、嵯峨さが の松茸まつたけ
の盛り、河原町には段なの定宿じょうやど
があるが、そこは万事面倒ゆえ、三条の橋の西詰めにちんまりした座敷を借りて、お嚊殿には六条参りをさせましょ」 と、わが物にした気になってゆくのは、まったく久七が鼻の下をのばした失敗であった。
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