〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-X』 〜 〜
なさけ を 入 れ し たる 物 語

2012/09/24 (月) 恋 に なき かへ (二)

にご り水大方おほかた かすりて、真砂まさご がるにまじり、日外いつぞや 見えぬとて、人うたがひし薄刃うすば も出、昆布こんぶ に針さしたるもあらはれしが、これは何事にか致しけるぞや。なほ探し見るに、駒引銭こまひきぜに 、目鼻なしの裸人形はだかにんぎやうくだ り手のかたし目貫めぬき 、継ぎ継ぎの涎掛よだれかけ 、さまざまの物こそあが れ、ふた なしの外井戸、心もとなき事なり。
次第しだい涌水わきみず 近く、根輪ねかわ の時、昔の合釘あひくぎ はなれてつぶれければ、かの樽屋たるや呼寄よびよ せて、輪竹わたけ の新しくなしぬ。
ここに流れゆくさざれ水をせきとめて、三輪みつわ む姿の老女、生ける虫を愛しけるを、樽屋、 「何ぞ」 と尋ねしに、 「これは、ただ今汲み上げし井守ゐもり といへるものなり。そなたは知らずや、この虫竹のつつ めてけむり となす、恋ふる人の黒髪にふりかくれば、あなたより思ひ付く事ぞ」 と、さもありのままに語りぬ。

濁り水をほとんど底までかすり出して、砂が上がってくるのに混じって、いつだったかなくなって、人を疑った薄刃包丁も出、昆布に針を刺したものも出て来たが、これは何をするのに使ったのだろうか。さらに捜してみると、駒引銭、目鼻の欠けた裸人形、安物の目貫の片割れ、継ぎはぎのよだれ掛け、実に様々なものが上がってくるもので、蓋のない外井戸というものは何がはいっているのか、気がかりなものである。
しだいに水の湧いている底近く、根輪の所まで汲みほした時、昔の合釘が離れて桶がばらばらになったので、例の樽屋を呼び寄せて、輪竹を新しく取り替えた。
この時そこに、ちょろちょろと流れる水をせき止めて、腰の曲がった老婆が何か生きてうごめく虫をもてあそんでいるので、樽屋が 「それは何じゃ」 と尋ねたところ、 「これはたった今汲み上げたいもりというものじゃ。お前さんは知らないのかね、この虫を竹の筒に込めて黒焼きにして恋しい人の黒髪に振りかけると、向うのほうから思いつくものじゃ」 と、さもまことしやかに語るのだった。
『現代訳 西鶴名作選』 訳者:東 明 雅 発行所:小 館 学 ヨ リ
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