合戦の体
、末すえ 頼たの
もしくも見えざりければ、義朝の女子によし
、今六歳になりけるを、殊こと
に寵愛ちようあい しけるが、六条坊門ぼうもん
烏丸からすまる に、母はは
の里ありしかば、坊門の姫ひめ
とぞ申しける、後藤兵衛実基さねもと
が養君やすなひぎみ にてありける程ほど
に、 「今一度見み 進まゐ
らせたまへ」 とて、鎧の上に抱いだ
きて、軍陣ぐんじん に出い
で来き ければ、義朝、ただ一目見て、涙なみだ
のこぼれけるを、さらぬ様体やうだい
にもてなして、 「さやうの者は、右近うこん
の馬場ばば の井ゐ
に浸し めよ」 と云ひければ、中次ちゆうじ
といふ恪勤かくごん の懐ふところ
に抱いだ かせて、急ぎ逃に
がしけり。 |
合戦の様子はもはや心細いかぎりであったので、義朝の娘、今年六歳になるのを義朝はことにかわいがっていたが、六条坊門烏丸にこの娘の母の里があったので、坊門の姫と呼んで、後藤兵衛実基が養育していたので、
「今一度ご覧ください」 とばかり、実基は鎧の上に抱いて軍陣に出て来た。義朝はこの姫君を一目見て涙がこぼれたのを、何気ないふうを装って、 「そのような者は右近の馬場の井戸に沈めてしまえ」
と言うので、中次という恪勤の兵の懐に抱かせて、急いで逃がした。 |
|
信頼卿は、鬨とき
の声に心地損そん じて、さんざんの事どもにてありけるが、左馬頭さまのかみ
六波羅へ寄せければ、人なみなみに、その後あと
に付きて歩あゆ ませ行く。道すがら、
「この大路おほぢ は何方いづかた
へ行く道ぞ。何いづ ちへ行きてかよかりなん」
と逃ぐる道を問えば、郎従らうじゆう
ども、主しゆ の返事をばせずして、後あと
に付きて、爪はじきをして、 「これ程の大臆病の人の、かかる大事を思おも
ひ企くはた てられけるよ。この月ごろ、伏見ふしみ
にて習ひたまひし武芸ぶげい は何方いづかた
へ失ひけるぞ。兵法ひやうほふ
を習へば、臆病になるか。あらにくや、あらにくや」 と言へども、適かな
はず。 |
信頼卿は、鬨の声におじけづいて、散々なことであったが、左馬頭が六波羅に向かったので、人なみにその後について馬を歩ませた。道中、
「この大路はどこへ行く道か。どちらに向かった方がいいのだろう」 などと逃げる道のことを尋ねるので、郎従どもは主人に返事することもしないで、後に従って、つまはじきをして、
「こんな大臆病の人が、このような大事を企てるなど信じられない。この数ヶ月、伏見で稽古なさった武芸はどこへ失ってしまったのか。それとも兵法を習うと臆病になるというのか。ああ憎らしいことよ」
と言っても、今さらどうしようもない。 |
|
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
リ |