〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (上)

2012/08/25 (土) 待 賢 門 の 軍 の 事 (七)

合戦のていすえ たの もしくも見えざりければ、義朝の女子によし 、今六歳になりけるを、こと寵愛ちようあい しけるが、六条坊門ぼうもん 烏丸からすまる に、はは の里ありしかば、坊門のひめ とぞ申しける、後藤兵衛実基さねもと養君やすなひぎみ にてありけるほど に、 「今一度 まゐ らせたまへ」 とて、鎧の上にいだ きて、軍陣ぐんじん ければ、義朝、ただ一目見て、なみだ のこぼれけるを、さらぬ様体やうだい にもてなして、 「さやうの者は、右近うこん馬場ばば めよ」 と云ひければ、中次ちゆうじ といふ恪勤かくごんふところいだ かせて、急ぎ がしけり。

合戦の様子はもはや心細いかぎりであったので、義朝の娘、今年六歳になるのを義朝はことにかわいがっていたが、六条坊門烏丸にこの娘の母の里があったので、坊門の姫と呼んで、後藤兵衛実基が養育していたので、 「今一度ご覧ください」 とばかり、実基は鎧の上に抱いて軍陣に出て来た。義朝はこの姫君を一目見て涙がこぼれたのを、何気ないふうを装って、 「そのような者は右近の馬場の井戸に沈めてしまえ」 と言うので、中次という恪勤の兵の懐に抱かせて、急いで逃がした。

信頼卿は、とき の声に心地そん じて、さんざんの事どもにてありけるが、左馬頭さまのかみ 六波羅へ寄せければ、人なみなみに、そのあと に付きてあゆ ませ行く。道すがら、 「この大路おほぢ何方いづかた へ行く道ぞ。いづ ちへ行きてかよかりなん」 と逃ぐる道を問えば、郎従らうじゆう ども、しゆ の返事をばせずして、あと に付きて、爪はじきをして、 「これ程の大臆病の人の、かかる大事をおもくはた てられけるよ。この月ごろ、伏見ふしみ にて習ひたまひし武芸ぶげい何方いづかた へ失ひけるぞ。兵法ひやうほふ を習へば、臆病になるか。あらにくや、あらにくや」 と言へども、かな はず。
信頼卿は、鬨の声におじけづいて、散々なことであったが、左馬頭が六波羅に向かったので、人なみにその後について馬を歩ませた。道中、 「この大路はどこへ行く道か。どちらに向かった方がいいのだろう」 などと逃げる道のことを尋ねるので、郎従どもは主人に返事することもしないで、後に従って、つまはじきをして、 「こんな大臆病の人が、このような大事を企てるなど信じられない。この数ヶ月、伏見で稽古なさった武芸はどこへ失ってしまったのか。それとも兵法を習うと臆病になるというのか。ああ憎らしいことよ」 と言っても、今さらどうしようもない。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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