悪源太義平は、色も変はらぬ十七騎、本
の陣じん にぞ控へたる。重盛の駆け入りたるを見て、
「武者むしや は新手あらて
と思おぼ ゆるが、大将軍はもとの重盛ぞ。余よ
の者に目な懸か けそ。櫨はじ
の匂にほ ひの鎧よろひ
に鴾毛つきげ なる馬は重盛ぞ。押し並べて組み落とせ。駆け並べて討ち取れ、者ども」
と、馳は せ廻めぐ
りて下知げぢ しければ、重盛の郎等、筑後ちくごの
左衛門貞能さえもんさだよし 、伊藤武者いとうむしや
景綱かげつな 、館太郎たてのたろう
貞保さだやす 、与三左衛門よさうさゑもん
景泰かげやす 、後平四郎ごへいしろう
実影さねかげ 、同じく十郎景俊かげとし
を始として、都合その勢ぜい 五十余騎、重盛を最中まんなか
に立てて、面おもて も振ふ
らず戦ひたり。されども、悪源太は、 「敵てき
に馬の脚あし な立てさせそ。櫨の匂ひの鎧に組め。鴾毛なる馬に押し並べよ」
と?ののし り懸けて、馳はせ
せ廻めぐ る。声、次第しだい
に相あひ 近ぢか
になりて、また組まれぬべくや思ひけん、大宮の大路へさつと引きてぞ出でたりける。 |
悪源太義平は、先程と同じ十七騎で、もとの陣に控えていた。重盛が駆け入って来たのを見つけて、
「兵は新手のようだが、大将は前と同じく重盛だ。外の者は相手にするな。櫨の匂いの鎧に鴾毛の馬が重盛よ。馬を並べて組み落とせ、駆け並べて討ち取れ、者ども」 と、馬を走らせながら命令を下したので、重盛の郎等、筑後左衛門貞能、伊藤武者景綱、館太郎貞保、与三衛門景泰、後平氏郎実景、同十郎景俊を始めとして、合わせてその軍勢五十余騎、重盛を真ん中に囲んで、わき目もふらず戦った。しかし、悪源太は、
「敵に馬の脚を立てさせるな。櫨の匂いの鎧に組みつけ。鴾毛の馬に並べ」 と大声で叫びながら馬を駆けさせていたが、その声が次第に近づいて来たので、またもや組まれてはかなわないと思ったのだろうか。大宮大路へいっせいに退去した。 |
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悪源太、敵てき
を二度追ひ出したるを見て、左馬頭、 「さてこそ心こころ
安やす けれ」 とて、郁芳門より打ちて出い
づ。鎌田かまだ 兵衛びやうゑ
、後藤ごとう 兵衛びやうゑ
、子息しそく 新兵衛尉しんひやうえのじよう、山内首藤刑部丞、子息滝口、長井ながゐの
斉藤別当、片切小八郎大夫、上総介、佐々木源三、これ九騎、太刀たち
の切先きつさき を並べて、喚をめ
いて懸か かりければ、三河守の千騎せんぎ
が最中まんなか へ駆け入りて、叢雲むらくも
立だ ちに控へたりけるを見て、義朝、二百余騎の勢を相具して、喚いて駆け入りたりければ、三河守の大勢、馬の脚あし
を溜た めず、三手みて
になりてぞ引きたりける。 大内は元来もとより
究竟くつきやう の城郭じやうくわく
なれば、火を懸けざらん外は、容易たやす
く攻せ め落お
とし難がた かりしかば、敵てき
を謀たばか り出い
ださんがために、官軍くわんぐん
、六波羅へ向ひて引き退しりぞ
く処に、出雲守いづものかみ 光保みつやす
、伊賀守いがのかみ 光基みつもと
、讃岐守さぬきのかみ 末時すゑとき
、豊後守ぶんごのかみ 時光ときみつ
、これ等ら は、心替こころが
はりして、六波羅の勢に馳は せ加くは
はる。大内おほうち に残る勢とては、左馬頭一党いつとう
、臆病おくびやう なれども信頼卿なかりなり。 |
悪源太が敵を二度も追い出したのを見て、左馬頭は、「これでひと安心」
とばかり、郁芳門から打って出た。鎌田兵衛 、後藤兵衛 、子息新兵衛尉、山内首藤刑部丞、子息滝口、長井藤別当、片切小八郎大夫、上総介、佐々木源三、これら九騎は太刀の切っ先を並べてわめきながらかかってきて、三河守の千騎の真ん中へ駆け入り、雲わき出るように控えているのを見て、義朝は二百余騎の軍勢を率いて、わめきながら救出に向かったので、三河守の大勢は、馬の脚をとどめることなく、三手にわかれて退却した。 大内はもともと頑丈な城郭だったので、火をかける以外、たやすく攻め落とし難かったので、敵をだまして追い出すために、官軍は六波羅に向かって退いたところ、出雲守光保、伊賀守光基、讃岐守末時、豊後守時光、これらは味方を裏切って、六波羅の軍勢に加わってきた。もはや、大内に残る軍勢は、左馬頭の一党と臆病者ながら信頼卿だけである。
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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