悪源太は、一人当千
のこれらを相あい 具ぐ
して、馬の鼻を並べて、散々さんざん
に懸かか りければ、重盛の勢ぜい
五百余騎、僅はつ かの勢ぜい
に駆け立てられて、大宮面おほみやおもて
へばつと引きてぞ出い でたりける。悪源太が振舞ふるまひ
を見て、義朝、心地ここち を直し、使者を立てて、
「ようこそ見ゆれ、悪源太。隙すき
なあらせそ。ただ駆か けよ」
とぞ下知げぢ しける。 重盛、大宮面に控ひか
へて、暫しばら く人馬の気け
を休めけり。赤地あかぢ の錦にしき
の直垂ひたたれ に、櫨はじ
の匂ひの鎧に、蝶てふ の裾金物すそかなもの
をぞ打ちたりける。 鴾毛つきげ
なる馬のはなはだたくましきが、八寸やき
余あま りなるに、金覆輪きんぶくりん
の鞍くら 置お
きてぞ乗りたりける。年二十三、馬居むまい
・事柄ことがら ・軍いくさ
のおきて、実まこと に平氏の正統、武勇ぶゆう
の達者たつしや 、あっぱれ大将軍だいしやうぐん
かなとぞ見えし。鐙あぶみ 踏ふ
ん張ば り、つい立ち上がり、
「偽いつは りて引ひ
き退しりぞ くべき由よし
の宣下せんげ を承りたる身なれども、合戦かつせん
は、また、時宜じぎ によるなり。僅はつ
かの小勢こぜい に打ち負けて引ひ
き退しりぞ く事、身に当りて面目めんぼく
を失へり。いま一駆ひとか け駆けて、その後のち
こそ勅定ちよくじやう の趣おもむき
に任まか せめ」 とて、前さき
の兵つはもの をば大宮面に立た
て置お き、新手あらて
五百余騎を相具して、また、待賢門を打ち破やぶ
りて、喚をめ いて駆け入りけり。
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