〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (上)

2012/08/23 (木) 待 賢 門 の 軍 の 事 (四)

三河守頼盛は、左馬頭固めたる郁芳門いくほうもんあひ むか ひ、常陸守ひたちのかみ 経盛つねもり は、光保・光基固めたる陽明門へぞ向ひける。左衛門佐重盛は、信頼卿の固めたる待賢門へぞ向ひける。いくさ巳刻みのこく の半ばより あは せして、互ひに退しりぞかた なく、一時いつとき ばかりぞ戦ひける。左衛門佐重盛は、千騎せんぎ の勢を二手ふたて に分けて、五百騎をば大宮面おほみやおもて に立て、五百騎をあひ して、待賢門を打ち破り、をめ いて け入りければ、信頼卿、ひと こらへもこらへず、大庭おほにはたちばな の木のもとまで攻め付きたり。郁芳門を固めたる左馬頭、これを見て、嫡子悪源太あくげんた に目を けて、 「あれは見ぬか、悪源太。待賢門をば信頼と云ふ不覚仁ふかくじん が攻め破られたるごさんめれ。 だせ」 と下知げぢ しければ、悪源太、父にことば けられて、そのぜい 十七騎、大庭おほには に向きてあゆ ませけり。てきあい 近付ちかづ き、声を げて名乗りけるは、 「名をば聞きつらんものを、今は目にも見よ、左馬頭義朝が嫡子、鎌倉かまくらの 悪源太義平あくげんたよしひら生年しやうねん 十九さい 。十五のとし武蔵国むさしのくに 大蔵おほくらじやう合戦かつせん に、伯父をぢ 帯刀先生たてはきのせんじやう義賢よしかた を手に けて ちしよりこのかた、度々どどいくさ に一度も不覚ふかく せず。はじにほ ひのよろひ て、鴾毛つきげ なる馬に乗りたるは、平氏嫡嫡ちやくちやく今日こんにち大将だいしやう 、左衛門佐重盛ぞ。押し並べて組み取れ、討ち取れ。者ども」 。十七騎、くつわなら べて駆けたりける。その中にも、すぐ れて見えけるは、三浦二郎義澄、渋谷庄司しぶやのしやうじ 重国しげくに足立あだちの 四郎馬允遠光むまのじようとほみつ平山武者所ひらやまのむしやどころ李重すゑしげ 、悪源太が下知げぢしたが ひて、重盛に目を懸けてめぐ る。

三河守頼盛は、左馬頭が守護している郁芳門に向かい、常陸守経盛は保光と光基が警護している陽明門に向かった。左衛門佐重盛は信頼が警護している待賢門に向かった。合戦は巳の刻の半ばから矢合わせをあいて、お互い退却するようなこともなく、一時ほど戦った。左衛門佐重盛は千騎の軍勢を二手に分けて、五百騎を大宮面に構えさせ、残り五百騎を率いて待賢門に向かいそこを攻め破り、おめきながら駆け入ったので、信頼はほんの僅かも防ぎ戦うことが出来ず、ために重盛は大庭の橘に木の許まで攻め寄せた。郁芳門を警護していた左馬頭は、これを見て、悪源太に目で合図して、 「あれが見えないか、悪源太。待賢門を信頼というばか者が攻め破られたようだ。追い出せ」 と命じたので、悪源太は父に言葉をかけられて、その軍勢十七騎、大庭に向かって馬を進ませた。敵に近づくや、大声をあげて名告ったには、 「わが名は聞いているだろう。今はわが姿をしかと見よ。左馬頭義朝の嫡子、鎌倉悪源太義兵、生年十九歳。十五の歳、武蔵国大蔵の城の合戦に、伯父帯刀先生義賢をわが手にかけて討って以来、度々の合戦で一度も敗れたことがない。櫨の匂いの鎧を着て鴾毛の馬に乗っているのは、平氏の嫡流、今日の大将、左衛門佐重盛と見てとった。馬を並べて相手を組み取れ、討ち取れ、者ども」 とばかり、十七騎いっせいに轡を並べて駆けた。その中でも、特にすぐれて見えたのは、三浦介二郎義澄、渋谷庄司重国、足立四郎馬允遠光、平山武者所李重、これらは悪源太の指図に従って、重盛を目がけて駆けまわった。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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