義朝頼
む所の兵どもには、嫡子ちやくし
悪源太あくげんた 義平よしひら
十九歳さい 、次男じなん
中宮大夫進ちゆうぐうのたいふのしん
朝長ともなが 十六歳、三男兵衛佐ひやうゑのすけ
頼朝よりとも 十二歳、義朝よしとも
が舎弟しやてい 三郎先生義章せんじやうよしあき
、同じく十郎義盛よしもり 、伯父をぢ
陸奥むつの 六郎義隆よしたか
、信濃源氏しなのげんじ 平賀ひらがの
四郎義信よしのぶ 、郎等らうどう
には、鎌田兵衛かまだびやうえ
正清まさきよ 、三浦介みうらのすけ
二郎義澄よしずみ 、山内首藤刑部丞やまのうちのすどうぎやうぶのじよう俊通としみち
、子息しそく 滝口俊綱たきぐちとしつな
、長井斉藤別当ながいのさいとうべつたう実盛さねもり
、信濃国しなののくに の住人片切小八郎大夫かたぎりのこはちらうたいふ景重かげしげ
、上総介かづさのすけ 八郎広常ひろつね
、近江国あふみのくに の住人佐々木源三ささきのげんざう
秀義ひでよし 、これらを始はじ
めとして、その勢せい 二百余騎よき
には過ぎざりけり。 |
義朝が頼りにしている武士としては、嫡子悪源太義平十九歳、次男中宮大夫進朝長十六歳、三男兵衛佐頼朝十二歳、義朝が舎弟三郎先生義章、同じく十郎義盛、伯父陸奥六郎義隆、信濃源氏平賀四郎義信、郎等には、鎌田兵衛正清、三浦介二郎義澄、山内首藤刑部丞俊通、子息滝口俊綱、長井斉藤別当実盛、信濃国の住人片切小八郎大夫影重、上総介八郎広常、近江国の住人佐々木源三秀義、これらを始めとして、その勢二百余騎ほどであった。 |
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信頼卿は、鬨とき
の声に心地損そん じたりけるが、鼻血はなぢ
拭のご ひ、顔の砂すな
打ち払ひ、暫しばら く心を静しづ
めて、馬に舁か き乗せられ、その勢ぜい
三百騎ばかり相あひ 具ぐ
して、待賢門たいけんもん をぞ固かた
めたる。まことは頼たの もしげにも見えざりけり。出雲守いづものかみ
光保みつやす 、伊賀守いがのかみ
光基みつもと 、讃岐守さぬきのかみ
末時すゑとき 、豊後守ぶんごのかみ
時光ときみつ 、これらを始はじ
めとして、三百騎、陽明門やうめいもん
をぞ固めたる。 |
信頼卿は鬨の声を聞いてすっかりおじけづいていたが、とりあえず、鼻血を拭いとり、顔にこびりついた砂を払い落とし、しばらく心を落ち着けてからb、馬に乗せてもらい、三百騎ほどを率いて待賢門を守護していたが、あまり威勢があるようにも見えなかった。出雲守光保、伊賀守光基、讃岐守末時、豊後守時光、こららを始として、三百騎が陽明門を警護していた。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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