主上
も、北の陣じん に御車くるま
を立てて、女房にようぼう の飾かざり
を召め して、重かさ
なれる御衣おんぞ を奉たてまつ
る。 「玄象げんじやう ・鈴鹿すずか
・大床子だいしやうじ ・印鎰いんやく
・時とき の簡ふだ
、みなみな渡わた し奉たてまつ
れ」 と御沙汰さた ありしかども、さのみは適かな
はず。内侍所ないしどころ の御唐櫃からびつ
も、大床おほゆか まで舁か
き出い だし進まゐ
らせけるを、鎌田かまだ 兵衛びやうゑ
が郎等らうどう 、見付け進まゐう
らせて、止とど め奉る。主上の御車くるま
遣や り出き
だすに、兵つはもの ども、怪あやし
しみ奉たてまつ る。別当惟方べつたうこれかた、
「それは女房の出い でらるる車ぞ。おぼつかなく思ふべからず」
と宣のたま へども、兵ども、なほ怪しく思ひて、近付ちかづ
き奉りて、火を振り上げさせ、弓の筈はず
を以も つて御車の簾すだれ
を掻か き上あ
げて見進まゐ らせければ、二条院にでうゐん
御在位の始め、御歳とし 十七にならせたまひけり、未だ隈くま
らせたまはぬ上、元より竜顔りようがん
美しくましますが、花やかなる御衣おんぞ
は召め されたり、実まこと
に目め も輝かがや
く程ほど の女房に見えさせたまひければ、事故ことゆえ
なく通し奉りけり。中宮ちゆうぐう
も一つの車に召されけり。紀二位きのにゐ
は、 「女なれども、取り出い
だされて、いかなる目め をか見んずらん」
とて、御衣おんぞ の裾すそ
にまとはれてぞ伏したりける。 |
主上も北の陣に御車をとどめ、女房の装いをして、重ねた御衣を身にまとった。
「玄象・鈴鹿・大床子・印鎰・時の簡、みな運んで来るよう」 との御命令であったが、すべて運んでくることは出来なかった。鏡の入った御唐櫃も大床まではかつぎ出したが、鎌田兵衛の郎等が見付けてやめさせた。主上の御車を出発させたところ、兵どもが怪しんだ。別当惟方が
「その車は女房が外出する車だ。疑うことはない」 と言っても、兵どもはやはり不審に思って近付き、松明を振り上げて、弓の筈で御車の簾をかきあげて見たところ、二条院が御在位にり初め、十七歳におなりであった。まだ隈もできず、もともと美しいお顔だちでいらしたのに、花やかな御衣を召しているので、実に目もかがやくばかりの女房に見えたので、何事もなくお通しした。中宮も同車なさった。紀二位は、
「女ではあるが、引張り出されてどんな目に遭うか」 と恐れて、御衣の裾の方にまとわれて伏していた。 |
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経宗つねむね
・惟方これかた は、直衣なほし
に柏夾かしはばさ みにて供奉ぐぶ
しけり。清盛きよもり の郎等らうどう
、伊藤武者いとうむしや 景綱かげつな
は、黒糸縅くろいとをどし の腹巻はらまき
の上に、雑色ざふしき の装束しやうぞく
し、二尺しやく 余よ
の小太刀こだち 腰こし
に差さし して、御供とも
す。館太郎たてのたろう 貞保さだやす
は黒皮縅くろかはおどし の腹巻に、打刀うちがたな
腰に差して、その上に牛飼うしかひ
の装束して、御車仕つかまつ る。上東門しやうとうもん
を出い でさせたまひて、土御門つちみかど
を東へ成な る。六波羅ろくはら
より左衛門佐さゑもんのすけ 重盛しげなり
、三河守みかわのかみ 頼盛よりもり
、常陸守ひたちのかみ 教盛のりもり
、その勢三百騎き ばかりにて、土御門つちみかど
東洞院ひがしのとうゐん にて参り合ふ。さてこそ、君きみ
も安堵あんど の御心付かせましましけれ。事故ことゆゑ
なく六波羅へ行幸ぎやうがう なりにければ、清盛も勇みの言こと
を顕あら はし、御方みかた
の兵つはもの ども、興きやう
に入りて喜びあへり。蔵人右少弁くらんどのうせうべん成頼なりより
を以も って、 「六波羅、皇居になりぬ。朝敵てうてき
とならじと思おも はん輩ともがら
は、皆々馳は せ参まゐ
れ」 と布ふ れさせければ、大殿おほとの
・関白殿くわんぱくどの ・太政大臣だじやうだいじん
以下いげ 、公卿くぎやう
殿上人てんじやうびと 、皆々馳は
せ参られけり。六波羅の門前もんぜん
に、馬・車の立た ち所どころ
なく、色節いろふし の下部しもべ
に至るまで、甲かぶと の緒を
を締し めたる輩ともがら
相交あひまじ わはりて、築地ついぢ
の際きは より河原面かはらおもて
までひしめきあへり。清盛はこれを見たまひて、 「家門の繁昌はんじやう
、弓箭きゆうせん の面目めんぼく
なるぞ」 と嬉よろこ ばれけり。 |
経宗と惟方は直衣に冠も柏夾みにしてお供した。清盛の郎等、伊藤武者景綱は、黒糸縅の腹巻の上に雑色の装束を着、二尺余の小太刀を腰に差して御供をした。館太郎貞保は、黒皮縅の腹巻に、打刀を腰に差し、その上に牛飼の装束を着て、御車に従った。上東門院をおでにお出になって、土御門を東に進んだ。六波羅から左衛門佐重盛、三河守頼盛、常陸守教盛、その勢三百騎ばかりで、土御門東の洞院の辺りまでやって来たのと出会った。それで、主上も安心なさった。無事六波羅に到着したので、清盛は意気あがる言葉を口にし、味方の兵どもも興に入って喜び合った。蔵人右少弁成頼を以って、
「六波羅が皇居となった。また、朝敵にはなりたくないと思う輩は、皆、ここ六波羅に馳せ参れ」 と告げさせたので、大殿・関白殿・太政大臣殿・左大臣以下、公卿殿上人は皆馳せ集まった。六波羅の門前には、馬や車をとどめておく場所もなくなり、色節を身につけた下部にいたるまで、甲の緒を締めた輩で混雑して、築地の際から河原面までひしめきあっていた。清盛はこのありさまをご覧になって、
「一家の繁昌、武家の名誉」 とばかり喜んだ。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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