〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (上)

2012/08/22 (水) 主 上 六 波 羅 へ 行 幸 の 事

主上しゆしやう も、北のじん に御くるま を立てて、女房にようぼうかざり して、かさ なれる御衣おんぞたてまつ る。 「玄象げんじやう鈴鹿すずか大床子だいしやうじ印鎰いんやくときふだ 、みなみなわたたてまつ れ」 と御沙汰さた ありしかども、さのみはかな はず。内侍所ないしどころ の御唐櫃からびつ も、大床おほゆか まで だしまゐ らせけるを、鎌田かまだ 兵衛びやうゑ郎等らうどう 、見付けまゐう らせて、とど め奉る。主上の御くるま だすに、つはもの ども、あやし しみたてまつ る。別当惟方べつたうこれかた、 「それは女房の でらるる車ぞ。おぼつかなく思ふべからず」 とのたま へども、兵ども、なほ怪しく思ひて、近付ちかづ き奉りて、火を振り上げさせ、弓のはず つて御車のすだれ げて見まゐ らせければ、二条院にでうゐん 御在位の始め、御とし 十七にならせたまひけり、未だくま らせたまはぬ上、元より竜顔りようがん 美しくましますが、花やかなる御衣おんぞ されたり、まことかがやほど の女房に見えさせたまひければ、事故ことゆえ なく通し奉りけり。中宮ちゆうぐう も一つの車に召されけり。紀二位きのにゐ は、 「女なれども、取り だされて、いかなる をか見んずらん」 とて、御衣おんぞすそ にまとはれてぞ伏したりける。

主上も北の陣に御車をとどめ、女房の装いをして、重ねた御衣を身にまとった。 「玄象・鈴鹿・大床子・印鎰・時の簡、みな運んで来るよう」 との御命令であったが、すべて運んでくることは出来なかった。鏡の入った御唐櫃も大床まではかつぎ出したが、鎌田兵衛の郎等が見付けてやめさせた。主上の御車を出発させたところ、兵どもが怪しんだ。別当惟方が 「その車は女房が外出する車だ。疑うことはない」 と言っても、兵どもはやはり不審に思って近付き、松明を振り上げて、弓の筈で御車の簾をかきあげて見たところ、二条院が御在位にり初め、十七歳におなりであった。まだ隈もできず、もともと美しいお顔だちでいらしたのに、花やかな御衣を召しているので、実に目もかがやくばかりの女房に見えたので、何事もなくお通しした。中宮も同車なさった。紀二位は、 「女ではあるが、引張り出されてどんな目に遭うか」 と恐れて、御衣の裾の方にまとわれて伏していた。

経宗つねむね惟方これかた は、直衣なほし柏夾かしはばさ みにて供奉ぐぶ しけり。清盛きよもり郎等らうどう伊藤武者いとうむしや 景綱かげつな は、黒糸縅くろいとをどし腹巻はらまき の上に、雑色ざふしき装束しやうぞく し、二しやく 小太刀こだち こしさし して、御とも す。館太郎たてのたろう 貞保さだやす黒皮縅くろかはおどし の腹巻に、打刀うちがたな 腰に差して、その上に牛飼うしかひ の装束して、御車つかまつ る。上東門しやうとうもん でさせたまひて、土御門つちみかど を東へ る。六波羅ろくはら より左衛門佐さゑもんのすけ 重盛しげなり三河守みかわのかみ 頼盛よりもり常陸守ひたちのかみ 教盛のりもり 、その勢三百 ばかりにて、土御門つちみかど 東洞院ひがしのとうゐん にて参り合ふ。さてこそ、きみ安堵あんど の御心付かせましましけれ。事故ことゆゑ なく六波羅へ行幸ぎやうがう なりにければ、清盛も勇みのことあら はし、御方みかたつはもの ども、きやう に入りて喜びあへり。蔵人右少弁くらんどのうせうべん成頼なりより って、 「六波羅、皇居になりぬ。朝敵てうてき とならじとおも はんともがら は、皆々まゐ れ」 と れさせければ、大殿おほとの関白殿くわんぱくどの太政大臣だじやうだいじん 以下いげ公卿くぎやう 殿上人てんじやうびと 、皆々 せ参られけり。六波羅の門前もんぜん に、馬・車のどころ なく、色節いろふし下部しもべ に至るまで、かぶと めたるともがら 相交あひまじ わはりて、築地ついぢきは より河原面かはらおもて までひしめきあへり。清盛はこれを見たまひて、 「家門の繁昌はんじやう弓箭きゆうせん面目めんぼく なるぞ」 とよろこ ばれけり。
経宗と惟方は直衣に冠も柏夾みにしてお供した。清盛の郎等、伊藤武者景綱は、黒糸縅の腹巻の上に雑色の装束を着、二尺余の小太刀を腰に差して御供をした。館太郎貞保は、黒皮縅の腹巻に、打刀を腰に差し、その上に牛飼の装束を着て、御車に従った。上東門院をおでにお出になって、土御門を東に進んだ。六波羅から左衛門佐重盛、三河守頼盛、常陸守教盛、その勢三百騎ばかりで、土御門東の洞院の辺りまでやって来たのと出会った。それで、主上も安心なさった。無事六波羅に到着したので、清盛は意気あがる言葉を口にし、味方の兵どもも興に入って喜び合った。蔵人右少弁成頼を以って、 「六波羅が皇居となった。また、朝敵にはなりたくないと思う輩は、皆、ここ六波羅に馳せ参れ」 と告げさせたので、大殿・関白殿・太政大臣殿・左大臣以下、公卿殿上人は皆馳せ集まった。六波羅の門前には、馬や車をとどめておく場所もなくなり、色節を身につけた下部にいたるまで、甲の緒を締めた輩で混雑して、築地の際から河原面までひしめきあっていた。清盛はこのありさまをご覧になって、 「一家の繁昌、武家の名誉」 とばかり喜んだ。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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