〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (上)

2012/08/19 (日) 光頼卿参内の事 付けたり 清盛六波羅上着の事 (二)

光頼卿は、かやう振舞ふるま ひたれども、急ぎて でられず、殿上でんじやう小蔀こじとみ に前に見参けんざんいた 高らに みなどして立たれたる。昆明池こんめいち の御障子しやうじ の北、わき の戸のへん に、舎弟しやてい 別当惟方べつたうこれかた の立たれたりけるを、招きつつ、のたま ひけるは、 「今日公卿僉議くぎやうせんぎ あるべしとて、 れられつるあひだ、急ぎまゐ りてさぶら へども、さして承り定むることもなし。まこと にや、光頼は死罪じざい に行はるべき人数に数へられたりと伝へ承る。その人々を聞けば、当世とうせい有識いうそくしか るべき人どもなり。その数に らん事は、はなはだ面目めんぼく なるべし。さても、そこに、右衛門督うえもんのかみ が車の尻に乗りて、少納言入道せうなごんみふだう首実検くびじつけん のために、神楽岡かぐらがおか とかやへ渡られたりける事は、いかばかりしか るべからざる振舞ふるまひ かな。近衛大将このゑのだいしやう検非違使けびいし 別当べつたう は、こと なる重職ぢゆうしよく なり。その職に、いかなる人の車のしも にも ること、先規せんぎ もなし。また、当座たうざ恥辱ちじよく なり。就中なかんづく首実検くびじつけん ははなはだ穏便をんびん ならず」 とのたま へば、別当べつとう 、 「それは天気てんき にて候ひしかば」 とて、赤面せきめん せられけり。

光頼卿はこのように振舞ったものの、急いで退出も出来ない。そこで殿上の小蔀も前で見參の板を音を立てながら脚踏みをして立っていた。昆明池の御障子の北、脇の戸の辺りに、舎弟の別当惟方が立っていたのを手招きしておっしゃるには、 「今日公卿僉議があるとの連絡があったので、急いで参内したが、あさいて評定すべきこともないようだ。本当か、光頼は死罪の人とされていると聞いたが、死罪になるという人々というのは、有識者や然るべき人のようだ。その数に入るということは面目あることかもしれない。それにしても、お前が右衛門督の牛車に尻の乗って、少納言入道の首実検の為に神楽岡とかに出向いたということだが、どうも感心しない振舞いだ。近衛大将や検非違使の別当職は、他と異なる重職である。その職の人として、牛車の尻に乗るなど先例にかなうわけがない。大変な恥である。なかでも、首実検など軽はずみもはなはだしい」 とおっしゃったので、別当は、 「それは天皇の御命令があったので」 と言って赤面した。

光頼卿、 「こはいかに。天気なればとて、存するむねいか でか一議いちぎ 申さざるべき。われ らが曩祖なうそ 勧修寺くわんじゆじの 内大臣ないだいじん三条さんでう 右大臣うだいじん延喜えんぎ聖代せいたいつか へてより以来このかたきみ すで に十九代、臣また十一代、承り行ふ事はみな 徳政とくせい なり。一度も悪事あくじまじ はらず。当家たうけ はさせる英雄えいゆう にはあらねども、ひとへ有道いうだうしんともな ひて、讒佞ざんねいともがらくみ せざりしゆえ に、昔より今に至るまで、人に指を される程の事はなし。御辺ごへん はじ めて暴逆ぼうぎやく の臣に語らはれて、類家るいけ佳名かめい を失はん事、口惜くちを しかるべし。清盛きよもり は、熊野くんまの 参詣さんけい げずして、切目きりめ宿やど より せ上る。大勢にてこそあんなれ。信頼卿が語らふ所のつはものいくば くならじ。平家へいけ の大勢押し寄せて めんに、時刻をやめぐ らすべき。もしまた などをも けなば、きみいか でか安穏あんをん にわたらせたまふべき。大内おほうち 灰燼くわいじん の地にならんだにも、朝家てうけ の御なげ きなるべし。何ぞいは んや、君臣ともに自然しぜん の事もあらば、王道わうだう滅亡めつぼう 、この時にあるべし。右衛門督、御辺ごへん に大小事を申し合はすとこそ聞け。あひ かま へて。ひまうかが ひてはかりごと をめぐらして、玉体ぎよくたいつつが ましまさぬやうに思案しあん せられるべきなり。主上しゆしやう はいづくにましますぞ」 、 「黒戸ころど御所ごしよ に」 、 「上皇しやうくわう は」 、 「一本いつぽん 御書所ごしよどころ に」 、 「内侍所ないしどころ は」 、 「温明殿うんめいでん 」 、 「剣璽けんじ は」 、 「夜の御殿おとど に」 と、別当、かくぞ答へられける

光頼卿、 「いやはや、天皇の御命令といったところで、どうして自分の考えを申し上げないでいいものか。わが先祖勧修寺内大臣、三条右大臣が延喜の聖代に仕えて以来、すでに天皇は十九代、臣もまた十一代、承って行う政治は皆徳政である。一度も悪事に交わったことはない。わが家はさしたる家柄ではないが、それでも道理正しき臣とともにあり、讒佞ざんねいともがら に与みしなかったがゆえに、昔から今に至るまで、人に指を差される様なことはしていない。お前ががじめて暴逆の臣に仲間に引きずり込まれて、一族の名誉を失おうとしているのは残念である。清盛は熊野詣の途中、切目の宿から京に向かいつつあり、その軍勢はたいへんな数という。信頼卿が仲間に誘った兵の数は聞いていよう。平家の大勢が押し寄せて来ようとしているのに、ぐずぐずしてはいられない。もし、また、火など けられたならば、君とてどうしてご無事でいられようか。大内が灰や煙の地となるだけでも朝廷の御歎きというものだ。まして、君臣にまさかのことがあったら、王道の滅亡この時というものだ。右」衛門督は何事も相談しているそうだな。よくよく心して、油断なく、玉体に何事もないように心せよ。ところで、天皇はどこにいらっしゃるのだ」 。 「黒戸の御所に」 。 「上皇は」 。 「一本御書所に」 。「内侍所は」 。 「温明殿に」 。 「剣と神璽は」 。 「夜の御殿に」 と別当はこのように次々と答えた。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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