同十九日、内裏
には、殿上でんじやう にて公卿僉議くぎやうせんぎ
あるべしとて、催もよほ されければ、左衛門督さゑもんのかみ
光頼みつより 、けう殊こと
にあざやかなる装束しやうぞく
に、蒔絵まきゑ の細太刀ほそだち
帯は きて、侍さぶらひ
一人いちにん も召め
し具ぐ せず、尋常じんじやう
なる雑色ざふしき 四、五人、侍さぶらひ
には右馬允うまのじよう 範義のりよし
に雑色の装束させて、細太刀ほそだち
懐中ふところ に差さ
させ、 「もしの事あらば、我をば汝なんぢ
が手に懸か けよ」 とて頼まれける。大軍陣だいぐんじん
を張は り、列を厳きび
しく守まぼ りければ、たまたま参内さんだい
したまふ公卿、殿上人てんじやうびと
も、従容しようよう してこそ入りたまひしに、この光頼卿みつよりきやう
は、まんまんたる兵つはもの どもに憚はばか
る所もなくてぞ入りたまふ。兵、弓を平ひら
め、矢をそばめて、通し奉たてまつ
る。 |
同十九日、内裏では殿上で公卿僉議があるとのことで人々は招集されたが、左衛門督光頼はことのほか色あざやかな装束に、蒔絵の細太刀を帯き、侍は一人も伴わず、立派な雑色四、五人、侍である右馬允範義には雑色の装束させて、細太刀を懐に差させて、
「万一の事があったら、お前の手で自分を殺せ」 と頼んでおいた。大軍陣を配置して、門を厳しく警護していたので、折りしも参内して来る公卿・殿上人も気圧されて入って来たが、この光頼卿は、満ち満ちている兵どもに何遠慮することもなく入って来た。ために、兵は弓を横に置き、矢を傍らに寄せて通した。 |
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紫宸殿ししんでん
の御後ごご を通りたまひて、殿上でんじやう
を廻めぐ り見たまへば、右衛門督うゑもんのかみ
一座いちざ して、その座の上?じやうらふ
たち、みな下しも に着つ
かれり。光頼卿、 「こは不思議ふしぎ
な事かな」 と見たまひて、右大弁宰相うだいべんさいしやう顕時あきとき
、末座ばつざ の宰相にて着座ちやくざ
ありけるに、笏しやく 取と
り直なほ し、気色きしよく
して、 「御座敷ざしき こそ世にしどけなく候へ」
とて、しづしづと歩あよ み寄よ
りて、信頼卿のぶよりきやう の着ちやく
したる座上ざじやう に居懸いか
かりたまへば、信頼も、色もなく、うつ伏ぶ
しにぞなりにける。着座ちやくざ
の公卿、 「あな、あさましや」 と、目を驚おどろ
かしたまふ。光頼卿、 「今日は衛府ゑふ
の督かみ が一座すると見えて候ふ」
とて、下襲したがさね の尻しり
引き直し、衣紋えもん 掻か
い繕ちくろ ひ、笏しやく
取と り、居直いなほ
りて、 「そもそも、当日は何条御事なんでうおんこと
を定さだ め申すべきにて候ふぞ」
と申しけれども、着座の公卿・殿上人でんじやうびと
、一人いちにん も詞ことば
を出い だされず。まして末座ばつざ
の僉議せんぎ 、沙汰さた
もなし。光頼卿、程ほど 経へ
て、つい立ちて、静かに歩み出でられければ、庭上ていしやう
に漫々まんまん たる兵つはもの
ども、これを見て、 「あはれ、大剛だいかう
の人かな。この間あひだ 、人こそ多おほ
く出仕しゆつし したまひしかども、信頼の座上ざじやう
に着きたまへる人はなかりつるに。この人こそ始めなれ。門を入りたまひしより、少しも恐おそ
れ憚はばか りたる気色きしよく
もおはせざりつるに、し出だしたまひたる事よ。あはれ、この人を大将だいしやう
として、合戦かつせん をせばや。いかばかり頼もしからん。昔むかし
の頼光よりみつ を打う
ち返かへ して、光頼みつより
と名乗なの りたまへば、かようにおはするか」
と云い ひければ、また、傍かたは
らより、 「など、さらば、頼光の弟おとと
に、頼信よりのぶ を打ち返し、信頼のぶより
と名乗りたまふ信頼卿は、あれ程ほど
臆病おくびやう なるぞ」 と言へば、
「壁かべ に耳みみ
、石いし に口くち
といふ事あり、聞くとも聞かじ」 と云い
ひながら、忍しの び笑わら
ひにぞ笑ひける。 |
光頼卿は紫宸殿の御後ろをお通りになり、殿上の間をぐるりと見渡したところ、右衛門督が最上席に座り、その座にあるべき上臈達は皆下座に着いていた。光頼卿は、
「これは奇怪なことよ」 とご覧になって、右大弁宰相顕時が末座の宰相で着座していたが、笏を取り直し、怒気もあらわに、 「御座敷がたいそう乱れている」 と言いながら、静かに歩み寄って、信頼卿が着座したところにむずと座りかかったので、信頼も顔色なくしてうつ伏しになった。着座している公卿は、
「ああ、あきれたことよ」 と驚く。光頼卿は、 「衛府の督が同席しているようだ」 と言い、下襲ねの尻を引き直し、衣紋を掻き繕い、笏を取り、座り直して、 「いったい、今日は、何事を決定しようというのだ」
と言ったが、着座の公卿・殿上人は一人も発言しようとしない。まして座順について何か評定する様子もない。光頼卿はしばらくして座を立って、静かに退席されたので、庭上に満ち満ちている兵どもはこれを見て、
「ああ、剛気の人よ。この間、多くの人が出仕して来たが、誰も信頼より上席に着く人はいなかったのに、この人が初めて上席に着いた。門をお入りになった時から、少しも恐れ憚る様子もなかったが、確かにたいそうなことをなさったものだ。ああ、この人を大将として、合戦をしたいものだ。どんなに頼もしいことだろう。昔の頼光の名をさかさまにして、光頼と名乗りなさったので、こうでいらっしゃるのか」
と言ったところ、また、傍らから、 「さあ、どうしたものか。では、頼光の弟の頼信をさかさまにして、信頼と名乗りなさる信頼卿はああも臆病なのか」 と言い返したので、
「壁に耳、石に口ということもある、聞いたにしても聞かなかったことにしよう」 と言いながら、皆忍び笑いをした。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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