〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (上)

2012/08/14 (火) 信西南都落ちの事 付けたり 最期の事 (二)

十日あした右衛門尉うゑもんのじよう 成影なりかげ といふさぶらひ を招きて、 「京のかた何事なにごと かある。きと見てまゐ れ」 と申しければ、鹿毛かげ むま に打ち乗り、ほど に、木幡峠こはたとうげ にて、禅門ぜんもん使つか ひける舎人とね おとこ 、もってのほか 周章あわ てて たれり。「いかに、やうれ、何事なにごと かある」 と問へば、舎人男、なみだ を流して、 「何事とはいかに。きやう ぢゆう暗闇くらやみ になりて候ふを。衛門督殿ゑもんのかみどの左馬頭殿さまのかみどの大勢おほぜい にて、三条殿さんでうどの夜討ようち を入れ、やがて火を けられて候ふほどに、いんないけぶりうち でさせたまはずとも申す。また、大内おほうち御幸ごかう なりぬとも聞え候ふ。同じ夜のとら の時、姉小路殿あねこうじどの も焼き払われ候ひぬ。この夜討も、入道殿にふだふどのたてまつ らんためとこそ、京中の人は申し候へ。このさま を告げ申さんとてまゐ り候ふなり。入道殿は何方いづかた にわたらせたまひ候ふぞ」 と申しければ、成景、思ふやう、 「下臈げらふ はうたてしきものぞ。人のいたく はん時は、一旦いつたん の苦しみをのが れんとて、後日ごにち の大事をばかへりみず。知らせては しかりなん」 と思ひて、 「いしう参りたり。入道殿は、春日山かすがやまうし ろ、しかじかの所にましますぞ。いかばかり御感ぎよかん あらんずらん。いそまゐ れ」 とおしつか はして、後影うしろかげ も見えずなりければ、大道寺だいだうじ せ帰りて、このやう を申せば、 「身のほろ びんことをば思はず、ただ、主上しゆしやう上皇しやうくわう の御事こそ御いたはられけれ。信西しんぜい はりまゐ らせずしては、誰人てれひときみたすまゐ らせん。急ぎわれうづ めよ」 とて、あな り、めぐ りに板を立ててこそ められけれ。「死ぬるさきてき たづ たらば、自害じがい をせんずるに、かたなまゐ らせよ」 と申せば、成景なりかげ 、泣く泣く腰刀こしがたな きてたてま る。四人のさぶらひ ども、各々もとどり 切りてぞうづ みける。 「最後さいご の御おん に、法名ほふみやう たま はらん」 と面々めんめん に申しければ、 「やすき事なり」 とて、右門尉うゑもんのじよう 成景なりかげ西景さいけい右衛門尉うゑもんのじょう 師実もろざね西実さいじつ修理進しゆりのしん 師親もろちか西親さいしん前武者所さきのむしやどころ 師清もろきよ西清さいせい 、各々西の字に俗名の冠名くわんみやう せて、次第しだい にかうこそ付けられけれ。京にありける右衛門尉うゑもんのじよう 師光もろみつ も、このよし を聞きて、出家しゆつけ して、西光さいくわう とぞ呼ばれける。

十日朝、右衛門尉成景という武士を呼び寄せて、 「京の方に何か変事がないか。しっかり見てくるように」 と命じたので、成景は鹿毛馬に乗り駆けて行くうちに、木幡峠で、信西入道が召し使っていた舎人男がたいそうあわててやって来た。 「どうした、おい、おまえ、何があったのだ」 と尋ねたところ、舎人男は涙を流しながら、 「何事などとはとんでもない。京中暗闇になるのを見計らって、衛門督殿、左馬頭以下大勢で三条殿に夜討をかけ、直ちに火をかけたので、院も内もその煙の中を脱出できなかったとも言う。同じ夜の寅の刻、姉小路殿は焼き払われてしまった。この夜討も、ひとえに信西入道殿を殺そうとしてのことと京中の人々は噂している。早くこの様子を報告しようと思い馳せ参じました。入道殿はどこにおいでですか」 と答えた。成景は心に、 「下臈とは情けないものよ。人にきびしく尋問されると、その場の苦しみを逃れようとして、後日の大事を思いやることもなく全てを白状してしまう。入道殿の居場所を知らせてはまずかろう」 と思い、 「よくぞ参った。入道殿は春日山の後ろ、これこれの所にいらっしゃる。報告を聞いたらどんなにかお喜びのことだろう。急いで参れ」 と教えてやり、後姿が見えなくなってから、急ぎ大道寺に戻り、この情報を申しあげたところ、 「わが身が滅びるなどなんでもない。ただ天皇や上皇のことが気がかりである。自分が身替りにならずして、誰が君をお助けすることが出来よう。急いで私を埋めよ」 と命じて、穴を掘り、その回りに板を立てて、埋められた。「死ぬ前に敵がやって来たら自害するつもりだから、刀を寄こせ」 と言うので、成景は泣く泣く腰刀を抜いてお渡しする。四人の侍どもはめいめい髻を切って埋めた。 「最後の御恩として、法名をいただきたいものです」 と皆口々に願ったところ、信西は 「たやすいことよ」 とおっしゃって、右衛門尉成景は西景、右衛門尉師実は西実、修理師親は西親、前武者所師清は西清、おのおの西の字に俗名の一字を付けて、それぞれにかく名付けた。京にいた右衛門尉師光も、このことを聞きつけて、出家して西光と呼ばれた。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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