同十六日卯刻
、大炊御門おほひのみかど よりにはかに火出い
で来き たりて、 「敵かたき
の寄よ せて、火を懸か
けたり」 と騒ぎけれども、されども、その儀ぎ
なくて、やみにけり。郁芳門いくはうもん
の前なりければ、あはてけるも道理ことわり
なり。 同じき日、出雲守いづものかみ
光保みつやす 、また内裏だいり
へ参まい りて、 「今日こんにち
少納言せうなごん 入道にふだう
が首くび を斬き
りて、神楽岡かぐらおか の宿所しゆくしよ
に持ち来たりて候ふ」 と申し入れしかば、信頼のぶより
・惟方これかた 同車して、神楽岡に渡りて実検じつけん
す。信頼、日ごろの憤いきどほ
りをば今ぞ散さん じける。この禅門ぜんもん
は、去さ んぬる九日夜討ようち
のこと、予かね て内々ないない
知りけるにや、 「この赴おもむき
、申し入れん」 とて、院いん
の御所へ参まい りけるが、折節おりふし
御遊びなりければ、「その興きよう
を醒さ まし進まい
らせん事、無念むねん なるべし」
と思ひ、ある女房にようぼう に子細しさい
を申し置きて、帰りぬ。侍さぶらひ
三、四人ばかり召め し具ぐ
して、大和路やまとぢ を下りに、宇治うぢ
にかかりて、田原たはら が奥おく
、大道寺だいだうじ といふ我が所領しよりやう
に着つ きにけり。この人は天文淵源てんもんゑんげん
を究きは めて、推条すいでう
掌たなごころ をさすがごとくなりしが、宿運しゆくうん
この時や尽つ きにけん、三日、先立さきだ
つて出い でたる天変てんぺん
を今夜はじめてぞ見付けける。木星もくせい
寿命じゆみやう 死に有り、忠臣君きみ
に替か はるといふ天変てんぺん
なり。強こは き者弱よわ
く、弱きj者強し。上かみ は弱く、下しも
は強こは し。この時、 「我が命を失ひて君に替はり奉らん」
と思ふ心ぞ付きにける。 |
同十六日の卯刻、大炊御門から急に火災が起こり、敵が押し寄せて来て火をかけたなど大騒ぎしたが、それでも敵が寄せて来ることもなく収まった。郁芳門の前の火事だったので、あわてふためくのももっともなとこである。 同日、出雲守光保が、済度内裏へ参上して、
「今日少納言入道の首を切って、神楽岡の宿所に持参しておきます」 と申し入れたので。信頼と惟方は一つ牛車に同乗して、神楽岡に出向いて、首実検をした。信頼は、日頃の憤りを今やっと静めることができた。この入道は、去る九日の夜討のことをあらかじめひそかに知っていたのだろうか、このことをお知らせしようと院の御所へ出かけたが、丁度その時御遊の最中だったので、そのお楽しみの邪魔をするのもはばかられると思い、ある女房に自分の知り得た夜討の情報を言い置いて帰った。侍三、四人ほど引連れて、大和路を下り宇治に通りかかり、田原の奥、大道寺という自分の所領にたどり着いた。この人は天文の淵源を究めて、その推条たるや掌を指すが如く的確な判断の出来る人であったが、宿運はこの時尽きてしまったのだろうか、三日先立って現れた天変を、今夜になってはじめて見つけた。木星寿命死にあり、忠君臣の身替りとなるとの大変である。強い者は弱く、弱い者は強い、上には弱く、下には強い。この時わが命を失って、君の身替りになろうと思いついた。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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