三条殿のありさま、申すも愚
かなり。門々をば兵つはもの ども打ち囲み、所々しよしよ
より火を懸か けければ、猛火みやうくわ
虚空こくう に満ち、暴風煙けぶり
を上ぐ。 「公卿くぎやう ・殿上人てんじやうびと
、局つぼね の女房にようぼう
たち、何いづ れも信西が一族にてぞあるらん」
とて、射伏せ、切り殺しけり。火に焼けじと出い
づれば矢に中あた り、矢に中あた
らじとすれば火に焼けけり。矢に恐おそ
れ、火を悲しむるは、井の中へこそ飛び入りけれ。下なるは水に溺おぼ
れて助からず。上なるは造り重ねたる殿々、烈はげ
しき風に焼けければ、灰はひ ・燃も
え杭ぐひ に埋うづ
みて、助たす くる者さらになし。彼か
の阿房あはう の炎上えんしやう
には、后妃こうひ ・采女さいぢよ
の身を亡ほろ ぼすことはなかりしぞかし。この仙洞せんとう
の回禄くわいろく には、月卿雲客げつけいうんかく
の命を墜を とすこそ悲しけれ。衛門督ゑもんのかみ
大江家仲おほえのいへなか 、左衛門尉さゑもんのじよう
平たいらの 康忠やすただ
二人が首くび を鉾ほこ
に貫つらぬ きて、待賢門たいけんもん
にぞささげたる。 |
三条殿のありさまは言うもはばかられる。夫々それぞれ
の門はすべて兵が囲んで、所々から火を懸けたので、猛火は空すべてを焼きこがし、暴風は煙を舞い上がらせる。公卿殿上人や局の女房達は、全員信西の一族だろうと疑われ、射殺され、切り殺された。焼き殺されまいと外に出ようとすると矢にあたり、射殺されまいと籠もったままだと焼け死んでしまう。矢を恐れ、火を避けようとする者は、井戸の中へ飛び込んだ。しかし、井戸の底の水に溺れて安かる者とてない。井戸の上方に居る者は、あいにく井戸は木材を造り重ねた作りゆえ、激しい風に焼けてしまい、灰や焼けた杭の山に埋もれて、助かる者はまったくいない。あの阿房宮炎上の際には、后妃や采女で死んだ者はいなかったはずである。それがこの度の仙洞御所の火災では月卿雲客が命を落とすことになろうとは、誠に悲しいことである。衛門督大江家仲と左衛門尉康忠の二人の首を鉾に貫いて、待賢門に立てかけた。 |
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同夜の寅とら
の刻こく に、信西が姉小路あねのこうぢ
西洞院にしのとうゐん なる宿所しゆくしよ
を追捕ついぶ して、焼き払ふ。但ただ
し、これは、大内おほうち の兵つはもの
どもが下人の仕業しわざ とぞ聞えし。この三、四年は、理世安楽りせいあんらく
に、都鄙とひ 鎖とざし
を忘わす れ、歓娯かんご
遊宴いうえん して、上下じやうげ
屋そく を並べしに、所々の火災によって、あたりの民たみ
も安やす からず。 「こはいかになりぬる世の中ぞ」
と、歎なげ かぬ者はなかりけり。 |
その夜の寅の刻に、信西の姉小路西洞院にある宿所を没収して焼き払った。ただし、これは大内の兵どもの下人の仕業とのことであった。三、四年は、理世安楽をごくあたりまえのこととして、都鄙ともに家に錠をさすこともなく、歓娯遊宴の巷となって上なる者も下なる者も軒を並べて繁栄をほこっていたのに、所々の火災の為に、辺りの人々も心穏やかでない。
「これはいったい世の中どうなったことだろう」 と皆々歎きあった。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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