〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (上)

2012/08/12 (日) 三条殿へ発向 付けたり 信西の宿所焼き払ふ事 (一)

かようにひまうかが ひけるほど に、同じき九日夜、うしこく に、衛門督ゑもんのかみ 信頼のぶより きやう左馬頭さまのかみ 義朝よしとも大将たいしやう として、以上そのぜい 五百騎、いん御所ごしよ 三条殿さんげうどの へ押し寄せ、四方の門々もんもん を打ち囲む。衛門督信頼、乗りながら南のには に打ち立ち、大音だいおん げて申しけるは、 「この年来ねんらい 、人にすぐ れて御いとほしみをかうぶりて候ひつるに、信西しんぜいざん によってちゆう せらるべきよし 承り候ふあひだ、かひなきいのち を助け候はんとて、東国がた へこそまか り下り候へ」 と申せば、上皇しやうくわう 、大きに驚かせたまひて、 「さればとよ。何者なにもの が信頼を失ふべかるらん」 とおほ せも てぬに、つはもの ども、御くるま を差し寄せて、 「急ぎ御車に さるべき」 由、あら らかに申して、 「早く御所に火を けよ」 と、声々こゑごゑ にぞ申しける。

かく相手の油断をねらっていたこととて、同九日の夜、丑の刻に、衛門督信頼卿、左馬頭義朝の二人を大将として、都合その勢五百騎、院の御所三条殿に押し寄せ、御所の四方の門を囲んだ。衛門督信頼は馬に乗ったまま、南の庭に立ち、大音声あげて申し入れたことには、 「この数年、格別のお取立てをいただいておりましたところ、信西の讒言により殺される破目になったと聞き及びましたので、わがかいなみ命をお助けいただくためにも、東国の方へお出かけいただきたい」 と申したので、上皇はたいへん驚きなさって 「いったいぜんたい、何者が信頼を殺そうとしていると言うのか」 とおっしゃるその言葉も言い切らぬうちに、兵どもは御車を運んで来て、急いでこれにお乗りになるよう声も荒々しく申し、 「早く御所に火を懸けよ」 と口々にわめいていた。

上皇あはてて御車に奉る。御いもうと上西じやうさい 門院もんいん も、一つ御所におはしましけるあひだ、同じ御車に奉る。信頼のぶより義朝よしとも光保みつやす光基みつもと重成しげなり李実すえざね 、御車の前後左右さうかこ みて、大内おほうち へ入れまゐ らせ、一本いつぽん 御書所ごしよどころ め奉る。中にも、この重成は、保元ほうげんみだ れの時、讃岐院さぬきのゐん仁和寺にんわじ 寛遍法務くわんぺんほふむ が坊に打ち籠められてわたらせたまひしを、守護しゆご し奉りて、やがて讃岐へ御配流はいる の時、鳥羽よば まで御とも したりし者なり。 「いかなる宿縁しゆくえん にてか、二代のきみ をば守護し奉るらん」 と、心ある人は申しけり。
上皇はあわてて御車に乗り移った。御妹の上西門院も同じ御所にいらしたので、御車に同乗した。信頼・義朝・光保・光基・重成・李実が御車の前後左右を囲んで、大内にお連れし、一本御書所に押籠め奉った。なかでも、この重成は、保元の乱に際し、讃岐院が仁和寺の寛遍法務の坊に監禁されていらしたのを守護し、そのまま院が讃岐へ配流となった時は、鳥羽までお供をした者である。 「何の宿縁で、二代にわたり君の守護の役回りになるのだろう」 と、ものの道理をわきまえているほどの人は噂しあった。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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