〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (上)

2012/08/11 (土) 信 頼 信 西 を 亡 ぼ さ る る 議 の 事 (一)

子息しそく 新侍従しんじじゆう 信親のぶちか を、清盛きよもり婿むこ になして、近付ちかづ りて、平家の武威ぶゐ をもって本意ほんい げばやと思ひける。 「清盛は太宰だざい 大弐だいに たる上、大国たいこく あまたたま はりて、一族みな 朝恩てうおんほこ り、うら みなかりければ、よも同意せじ」 とおも ひ、 「源氏左馬頭さまのかみ 義朝よしとも は、保元ほうげんみだ れ以後、平家におぼおと りて、不快者ふくわいしや なり」 と思ひければ、近付ちかづ りて、こびこころざしかよ はしける。つね見参けんざん して、 「信頼のぶより かくて候へば、国をも庄をも所望しよまうしたが ひ、官加階くわんかかい をも り申さんに、天気てんき よも子細しさい あらじ」 と語らへば、 「か様に内外ないげ なく仰せあげられければ、ともかくも御所存しよぞん に従ひて、大事をもうけたま はるべき」 とぞ申しける。

信頼は、子息新侍従信親を清盛の婿として、近付きになり、平家の武威を以って本意を遂げたいものと思った。しかし、 「清盛は太宰大弐の官についているうえ、大国をたくさんいただいて、恨みを抱いているわけがないので、とても同意するわけがない」 と思い込み、一方、 「源氏左馬頭義朝は、保元の乱以後、平家には朝恩後れをとり、快からぬことがあろう」 と思ったので、近付き寄って、好意を寄せるふりをした。いつも引見して、 「信頼はかく寵愛が深いので、国なり庄なり所望に従って与えよう。また、官加階を与えるについても天皇には何の子細もあるまい」 と話したところ、義朝は、 「このように心打ち明けて仰せ下さるのだから、ともかくお考えに従うこととして、どのような大事なりと承ります」 と申した。

新大納言しんだいなごん 経宗つねむね をも語らふ。中御門なかのみかど 藤中納言とうちゆうなごん 家成いへなり きやう の三なん越後中将えちごのちゅうじやう成親なりちか 、君の御気色きしよく き者なりとて、これをもあひ かた らひ、また、御乳の人、別当べつたう 惟方これかた をも語らふ。中にも、 の別当は、信頼卿の母方の叔父おぢ なり。その上、弟尾張少将おはりのせうしやう 信説のぶとき婿むこ になして、ことさら深くぞたの まれけるに、したためめぐ らして、ひま をうかがひけるところに、平治へいぢ 元年十二月四日、太宰大弐だざいのだいに 清盛、宿願しゅくぐわん ありけるによって、嫡男ちやくなん 左衛門佐さゑもんのすけ 重盛しげもり あひ して、熊野くまの 参詣さんけい ありけり。

信頼はまた、新大納言経宗をも仲間に誘った。中御門中納言藤原家成卿の三男、越後中将成親は天皇の覚えめでたき者ゆえ、これも仲間に誘い、また乳人である別当惟方も仲間に引き入れた。なかでも、別当は信頼卿の母方の叔父である。その上、弟尾張少将信説を婿にして、とりわけ頼りにされていたので、よくよく心掛けてよき機会をねらっていたところに、平治元年十二月四日、太宰大弐清盛は宿願あって、嫡男左衛門佐重盛を伴い、熊野参詣に出かけることがあった

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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