〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (上)

2012/08/09 (木) 信 頼 信 西 不 快 の 事 (二)

近来ちかごろ権中納言ごんちゅうなごん中宮ちゅうぐう 権大夫ごんのたいふ 右衛門督うゑもんのかみ 藤原朝臣ふぢはらのあつそん信頼のぶより きやう といふ人ありけり。天津あまつ 児屋根こやね の御苗裔べうえい中関白なかのくわんぱく 道隆みちたか の八代の後胤こういん播磨はりま 三位さんみ 基隆もとたか が孫、伊予いよの 三位さんみ 忠隆ただたか が子息なり。文にもあらず、武にもあらず、能もなく、また芸もなし。ただ、朝恩てうおん にのみほこ りて昇進しようしん にかかはらず、父祖ふそ諸国しよこく受領じゆりやう をのみ て、年闌とした け、よはひ かたぶ きてのち 、わづかにじゆう 三位さんみ までこそ至りしに、これは近衛司このゑのつかさ蔵人頭くらんどのかみ后宮こうぐう宮司みやづかさ 、宰相の中将ちゆうじやう衛府督えふのかみ検非違使けびいし 別当べつとう 、これらをわづか二、三ヶねん が間に あが つて、とし 廿七、中納言ちうなごん 衛門督えもんのかみ に至れり。

近年、権中納言兼中宮権大夫右衛門督藤原朝臣信頼卿なる人物がいた。その系譜たるや天津児屋根の尊の御子孫、播磨三位基隆の孫、伊予三位忠隆の子息である。文武に秀でているわけでもなく、能芸はともに欠けている。ただ天皇の恩顧だけがたより、文武能芸による昇進ではなかった。祖父は諸国の受領の官を得るのがせいいっぱい、年老いてやっと従三位にまでたどり着いたというのに、ひきかえ、これは近衛司、蔵人頭、皇后宮司、宰相中将、近衛督、検非違使別当とこれら要職を僅か二、三年で昇進し続け、二十七歳にして、中納言衛門督にまで駆け昇った。

いちひと家嫡けちやく などこそかやうの昇進はしたまへ、凡人ぼんにんく にとりては、いま だかくのごときれい を聞かず。官途くわんと のみにあらず、俸禄ほうろく もまた心のごとくなり。家に絶えてひさ しき大臣大将だいじんのだいしやうのぞ みをかけて、かけまくもかたじけなくおほけなき振舞ふるまひ をのぞみぞしける。 る人 をおどろかし、 く人みみ をおどろかす。弥子瑕びしか にも ぎ、安禄山あんろくざん にも えたり。余桃よたうつみ をもおそ れず、ただ栄花えいくわ のみぞほこりける。

摂関家の出目にしてこのような破格の昇進もあろうというもの、それ以外の身分賤しい者にしてこのような例があったなど聞いたこともない。官途だけでなく、俸禄までまた思いのままのありさまであった。わが家系で久しく就いた事のない大臣の大将就任に望みをかけるなど、度外れた野望としかいいようがなかった。このありさまを見る人聞く人、皆々奇異の思いをした。あの余桃啗の罪をも恐れぬ振舞い、ただわが一族の栄花だけを目論んでいた。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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