古
へより今にいたるまで、王者わうじや
の人臣にんしん を賞しやう
ずるは、和漢わかん の両朝りやうてう
をとぶらふに、文武ぶんぶ 二道にだう
を先さき とせり。文ぶん
をもつては万機ばんき の政まつりごと
を補おぎな ひ、武ぶ
をもつては四夷しい の乱みだ
れを鎮しづ む。しかれば、天下てんか
を保たも ち国土こくど
を治をさ むること、文を左にし、武を右にするとぞ見えたる。たとへば人の二に
の手て のごとし。一つ欠か
けてはあるべからず。 |
昔から今に至るまで、天皇が臣下の者を取り立てるには、和漢の両朝の先例に明らかなように、文武二道を以って第一とすることである。文を以っては政務を補い、武を以っては反乱を鎮める。ゆえに、国家安泰を心がけるには、文を左に、武を右にすることが肝要である。この道理は、例えば、人にあって両手のようなもの、片手欠けていいわけがない。 |
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なかんづく、末代まつだい
の流れにおよびて、人驕おご つて朝威てうい
をいるがせにし、民たみ は武たけ
しく野心やしん をさしはさむ。よく用意ようい
いたし、専々せんせん 抽賞ちうしやう
せらるべきは、勇桿ようかん の輩ともがら
なり。しかれば、唐たう の太宗文たいそうぶん
皇帝くわうてい は、鬚ひげ
を切き りて薬くすり
を焼や きて、功臣こうしん
に賜たま ひ、血ち
を含ふく み疵きず
を吸す ひて、戦士せんじ
を撫な でしかば、心は恩おん
のために仕つか へ、命めい
は義ぎ によって軽かろ
かりければ、兵ひやう 、身しん
を殺さんことをいたまず。ただ、死し
をいたさんことをのみ願ねが へりけるとぞ承うけたまは
る。自みづか ら手て
を下くだ さざれども、志こころざし
を与あた ふれば、人みな帰き
しけりといへり。 |
なかでも、世も末になり果て、家臣の者どもはおごって朝威をおろそかないし、勇猛にして野心を抱くに至る。よくよく心がけて抜擢すべきは勇者である。だから、唐の太宗文皇帝は、自らの鬚を切って焼き、薬にして功臣に与え、戦士の血をわが口に含んでまでも疵口を吸い慈しんだ。ために臣下の者は心に恩をもって仕え、わが命を皇帝の為にささげてよしとし、死を恐れることはなかった。ただ、忠義の死だけを願ったということである。皇帝自身戦場に出て戦うことはなくとも、臣下の者に対するこの思いやりの深さゆえ、皆心を寄せたという。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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