〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (上)

2012/08/09 (木) 信 頼 信 西 不 快 の 事 (一)

いにし へより今にいたるまで、王者わうじや人臣にんしんしやう ずるは、和漢わかん両朝りやうてう をとぶらふに、文武ぶんぶ 二道にだうさき とせり。ぶん をもつては万機ばんきまつりごとおぎな ひ、 をもつては四夷しいみだ れをしづ む。しかれば、天下てんかたも国土こくどをさ むること、文を左にし、武を右にするとぞ見えたる。たとへば人の のごとし。一つ けてはあるべからず。

昔から今に至るまで、天皇が臣下の者を取り立てるには、和漢の両朝の先例に明らかなように、文武二道を以って第一とすることである。文を以っては政務を補い、武を以っては反乱を鎮める。ゆえに、国家安泰を心がけるには、文を左に、武を右にすることが肝要である。この道理は、例えば、人にあって両手のようなもの、片手欠けていいわけがない。

なかんづく、末代まつだい の流れにおよびて、人おご つて朝威てうい をいるがせにし、たみたけ しく野心やしん をさしはさむ。よく用意ようい いたし、専々せんせん 抽賞ちうしやう せらるべきは、勇桿ようかんともがら なり。しかれば、たう太宗文たいそうぶん 皇帝くわうてい は、ひげ りてくすり きて、功臣こうしんたま ひ、ふくきず ひて、戦士せんじ でしかば、心はおん のためにつか へ、めい によってかろ かりければ、ひやうしん を殺さんことをいたまず。ただ、 をいたさんことをのみねが へりけるとぞうけたまは る。みづかくだ さざれども、こころざしあた ふれば、人みな しけりといへり。

なかでも、世も末になり果て、家臣の者どもはおごって朝威をおろそかないし、勇猛にして野心を抱くに至る。よくよく心がけて抜擢すべきは勇者である。だから、唐の太宗文皇帝は、自らの鬚を切って焼き、薬にして功臣に与え、戦士の血をわが口に含んでまでも疵口を吸い慈しんだ。ために臣下の者は心に恩をもって仕え、わが命を皇帝の為にささげてよしとし、死を恐れることはなかった。ただ、忠義の死だけを願ったということである。皇帝自身戦場に出て戦うことはなくとも、臣下の者に対するこの思いやりの深さゆえ、皆心を寄せたという。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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