さる程
に、難波三郎経房、福原ふくはら
へ清盛の御使つかひ に下くだ
りて、上のぼ る程に、摂津国せつつのくに
昆陽野こやの に着つ
きければ、晴れたる空、にはかに曇くも
りて、神鳴かみなり おびただしく鳴な
りければ、難波三郎、言ひけるは、 「悪源太を斬き
りし時、 『神鳴になりて、汝なんぢ
を蹴け 殺ころ
しなん』 と言ひしより後のち
は、雷いかづち だに鳴れば、思おも
ひ 出い されて、恐おそ
ろしきぞ」 と言ひければ、 「只今ただいま
鳴りし雷いかづち も、悪源太にてや候ふらん」
と言へば、 「何なん でふその儀ぎ
あるべき。悪源太斬りたりし太刀たち
ぞかし」 とて、太刀を抜いて額ひたい
に当あ て、打う
つて行く程に、余りに雷いかづち
の多く鳴るあひだ、郎等らうどう
以下いげ 、松の下に控ひか
へ控ひか へて見る所に、神鳴かみなり
はたと鳴り落ちければ、難波三郎、持ちたる太刀なれば、しとど打う
てども、物にてもなく、馬とともに蹴け
殺ころ してぞ伏ふ
しにける。 都にも、六波羅にも、おびただしく鳴な
り落お ち、人多く蹴殺しければ、清盛、大きに騒さわ
ぎたまひける。貴僧きそう ・高僧かうそう
に仰おほ せて、真読しんどく
の大般若だいはんにや を読よ
ませ奉りければ、すなはち、雷いかづち
鎮しづ まりぬ。恐おそ
ろしくぞ思おぼ えける。 |