〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/21 (金) 悪 源 太 雷 と な る 事 (二)

さるほど に、難波三郎経房、福原ふくはら へ清盛の御使つかひくだ りて、のぼ る程に、摂津国せつつのくに 昆陽野こやの きければ、晴れたる空、にはかにくも りて、神鳴かみなり おびただしく りければ、難波三郎、言ひけるは、 「悪源太を りし時、 『神鳴になりて、なんぢ ころ しなん』 と言ひしよりのち は、いかづち だに鳴れば、おも されて、おそ ろしきぞ」 と言ひければ、 「只今ただいま 鳴りしいかづち も、悪源太にてや候ふらん」 と言へば、 「なん でふその あるべき。悪源太斬りたりし太刀たち ぞかし」 とて、太刀を抜いてひたい て、 つて行く程に、余りにいかづち の多く鳴るあひだ、郎等らうどう 以下いげ 、松の下にひかひか へて見る所に、神鳴かみなり はたと鳴り落ちければ、難波三郎、持ちたる太刀なれば、しとど てども、物にてもなく、馬とともに ころ してぞ しにける。
都にも、六波羅にも、おびただしく ち、人多く蹴殺しければ、清盛、大きにさわ ぎたまひける。貴僧きそう高僧かうそうおほ せて、真読しんどく大般若だいはんにや ませ奉りければ、すなはち、いかづち しづ まりぬ。おそ ろしくぞおぼ えける。

さて、難波三郎経房は福原へ清盛の使者として派遣され、その帰り道、摂津国昆陽野に着いたところ、今まで晴れていた空が突然曇って、雷がはげしく鳴った。そこで難波三郎が、 「かつて悪源太を斬り殺した時、悪源太が 『雷になってお前を蹴殺してやるぞ』 と言ったのを聞いて以来、雷が鳴る度にあの時のことが思い出されて、恐ろしくてならない」 と言うと、 「それでは、今鳴っている雷も、悪源太だろうか」 と聞く者がいる。難波三郎は、 「どうしてそんなことがあるものか。これは悪源太を斬った時の太刀よ」 とばかり、太刀を抜いて額に当て、斬りかかって行くと、あまりに多く雷が鳴りひびくので、郎等以下、松の下でこわごわ見ているところへ、雷がはたと鳴り落ちた。難波三郎はちょうど太刀を持っていたものだから強く打ちかかったが、問題にもならず、馬と一緒に蹴殺されてしまった。
都でも、六波羅に雷が激しく鳴り落ち、人をたくさん蹴殺したので、清盛も大騒ぎした。貴僧、高僧に命じて、真読で 『大般若経』 を読ませたところ、たちどころに、雷は静まった。本当に恐ろしいことである。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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