〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/21 (金) 経宗惟方遠流に処せらるる事 同じく 召し返さるる事

新大納言しんだいなごん 経宗つねむね は、阿波国あはのくに へ流されたまふ。一首 みて、君へspan>まゐ らせられたり。

ちたぎる 水のあわ ともなりもせで  うきに消えせぬ 身こそつらけれ』
と詠みて まゐ らせられければ、やがて赦免しやめん あり。また、 あが りて、大臣だいじん になりたまひしかば、人、 「あはの大臣」 とぞ申しける。大宮左大臣おほみやのさだいじん伊通卿これみちきやうのたま ひけるは、 「昔は 『吉備きび の大臣』 とてありけるなり。今は 『あは の大臣』 とて で来たり。いつか、また、 『ひえ の大臣』 のあらんずらん」 とぞわら はれける。
別当べつたう 惟方これかた は、長門国ながとのくに 名田浜なだはま へぞ流されける。これも、一首奉る。
『この にも 沈むと聞けば 涙川なみだがは   なが れしよりも  るるそで かな』
みてまゐ らせければ、これも、やがて赦免しやめん ありぬ。
伏見源中納言ふしみのげんちゆうなごん師仲言もろなか は、三河みかは八橋やつはし へ流されけり。不破ふはせき を過ぎたまふとて、関屋の柱に、一首、かうぞ書かれたる。
東路あづまぢ を 西にし れ行く 人見れば  うらやましきは この世のみかは』
八橋に きたまひて、かくぞ思ひ続けたる。
『夢にだに 思はざりしを 三河みかは なる  今日けふ 八橋を 渡るべしとは』
これも、幾程いくほど なくして赦免ありぬ。

新大納言経宗は、阿波国へ流罪になった。出発に先立って、和歌一首を詠んで、天皇へ差し上げた。

『滝から流れ落ちてわきかえっている水の泡ともなりはしないで、浮くことも出来ずにいる我が身のつらさよ』
と詠んで献上したところ、直ちに赦免になった。また、昇進して大臣になったところ、 「あわの大臣」 などとふざけて言う人がいた。大宮左大臣伊通卿も、 「昔は吉備の大臣という御方がいらした。今度はあわの大臣なる者が出て来た。これでは、いつか、稗の大臣という者が出てくるかも知れない」 などおかしそうに話し、笑っていた。
別当惟方は、長門国名田浜へ流罪になった。この御方も、和歌一首差し上げた。
『この度の赦免にももれたと聞くと、涙川よ、初めてここの流されてきた時よりも悲しみは、あさり、袖は涙でますます濡れてしまうことよ』
と詠んで献上したところ、この度もまた、直ちに赦免があった。
伏見中納言師仲は、三河の八橋に流罪になった。不破の関を通り過ぎる時、関屋の柱に、和歌一首を次のように書いた。
『私と反対に東路を都めざして西へ行く人がいるが、確かに西方浄土とも言う、この世あの世ともに幸せな人がいるものよ』
八橋にお着きになって、次のような和歌を詠んだ。
『夢にさえ思わなかったこの流罪、今日、三河の八橋にやっと着き、この八橋を渡ることよ』
この方も、間もなく赦免された。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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