新大納言
経宗つねむね は、阿波国あはのくに
へ流されたまふ。一首詠よ みて、君へspan>進まゐ
らせられたり。 |
『落お
ちたぎる 水の泡あわ ともなりもせで うきに消えせぬ 身こそつらけれ』 |
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と詠みて
進まゐ らせられければ、やがて赦免しやめん
あり。また、経へ 上あが
りて、大臣だいじん になりたまひしかば、人、
「あはの大臣」 とぞ申しける。大宮左大臣おほみやのさだいじん伊通卿これみちきやう
、宣のたま ひけるは、 「昔は
『吉備きび の大臣』 とてありけるなり。今は
『粟あは の大臣』 とて出い
で来たり。いつか、また、 『稗ひえ
の大臣』 のあらんずらん」 とぞ笑わら
はれける。 別当べつたう
惟方これかた は、長門国ながとのくに
名田浜なだはま へぞ流されける。これも、一首奉る。 |
『この瀬せ
にも 沈むと聞けば 涙川なみだがは
流なが れしよりも 濡ぬ
るる袖そで かな』 |
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と詠よ
みて進まゐ らせければ、これも、やがて赦免しやめん
ありぬ。 伏見源中納言ふしみのげんちゆうなごん師仲言もろなか
は、三河みかは の八橋やつはし
へ流されけり。不破ふは の関せき
を過ぎたまふとて、関屋の柱に、一首、かうぞ書かれたる。 |
『東路あづまぢ
を 西にし へ群む
れ行く 人見れば うらやましきは この世のみかは』 |
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八橋に着つ
きたまひて、かくぞ思ひ続けたる。 |
『夢にだに 思はざりしを 三河みかは
なる 今日けふ 八橋を 渡るべしとは』 |
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これも、幾程いくほど
なくして赦免ありぬ。 |
新大納言経宗は、阿波国へ流罪になった。出発に先立って、和歌一首を詠んで、天皇へ差し上げた。 | 『滝から流れ落ちてわきかえっている水の泡ともなりはしないで、浮くことも出来ずにいる我が身のつらさよ』 |
| と詠んで献上したところ、直ちに赦免になった。また、昇進して大臣になったところ、
「あわの大臣」 などとふざけて言う人がいた。大宮左大臣伊通卿も、 「昔は吉備の大臣という御方がいらした。今度はあわの大臣なる者が出て来た。これでは、いつか、稗の大臣という者が出てくるかも知れない」
などおかしそうに話し、笑っていた。 別当惟方は、長門国名田浜へ流罪になった。この御方も、和歌一首差し上げた。 | 『この度の赦免にももれたと聞くと、涙川よ、初めてここの流されてきた時よりも悲しみは、あさり、袖は涙でますます濡れてしまうことよ』 |
| と詠んで献上したところ、この度もまた、直ちに赦免があった。 伏見中納言師仲は、三河の八橋に流罪になった。不破の関を通り過ぎる時、関屋の柱に、和歌一首を次のように書いた。 | 『私と反対に東路を都めざして西へ行く人がいるが、確かに西方浄土とも言う、この世あの世ともに幸せな人がいるものよ』 |
| 八橋にお着きになって、次のような和歌を詠んだ。 | 『夢にさえ思わなかったこの流罪、今日、三河の八橋にやっと着き、この八橋を渡ることよ』 |
| この方も、間もなく赦免された。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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