常葉、十六歳より、義朝に取り置かれて、八年
の契ちぎ りなれば、言ひ捨つる言こと
の葉は までも、誤あやま
りなること一ひと つもなし。常葉、生年しやうねん
二十三、九条くでう の女院によゐん
の后きさき 立だ
ちの御時とき 、都みやこ
の中うち より、眉目みめ
よき女を千人揃そろ へて、その中なか
より百人、また、百人が中より十人、すぐり 出い
だされける。その中にも、常葉は一いち
とぞ聞きこ えける。千人が中の一いち
なれば、さこそは美うつく しかりけめ。異国に聞えし李夫人りふじん
・楊貴妃やうきひ 、我わ
が朝てう にては小野小町おののこまち
・和泉式部いづみしきぶ 、これには過ぎじとこそ見えし。楊貴妃が姿を見し人は、百もも
の媚こび をなすと言へり。 |
常葉は十六歳の時から義朝と縁を結んで、もう八年の仲なので、ちょっとした物言いに至るまで誤りなど一つもない。常葉は生年二十三、九条の女院が立皇后に儀式の時、都の中から器量のよい女性を千人揃えて、その中から百人、なたその百人の中から十人と選び出し、その中でも常葉は第一との評判であった。千人中の第一ということなので、それはもう美しかったことだろう。異国で評判の李夫人・楊貴妃、ひるがえって我が国では小野小町・和泉式部も、この常葉の美しさにはかなわなかったのではあるまいか。楊貴妃の姿を見た人は、たいそうなまめかしかったと言っている。 |
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太宰大弐だざいのだいに
清盛は、常葉が姿かたち を見たまひてより、由よし
なき心ぞ移うつ られける。清盛、宣ひけるは、
「勅定ちよくぢやう にて候へば、大方おほかた
執と り行ふにてこそ候へ。さればとて、いかでか情なさ
けなきことは候ふべき」 とて、景綱がもとへ帰されけり。その後のち
、常葉のもとへ御文ふみ を遣つかは
されけれども、御返事おんぺんじ
も申さねば、 「三人の幼をさな
い者どもを助け置くべし。従はずは、眼の前にて失うしな
ふべし」 と宣ひければ、常葉、なほ御返事をも申さず。母の尼君あまぎみ
言ひけるは、 「幼をさな い人々、尼が命を助けんと思はば、仰おほ
せに従ふべし」 と、様々さまざま
に言ふあひだ、 さすが幼をさな
い人々の命も惜を しく、母の命めい
をも背そむ きがたし」 と思へば、御返事申して、敵かたき
の命めい にぞ従ひける。侍さぶらひ
ども申しけるは、 「一人いちにん
二人ににん も候はず、敵かたき
の子供三人まで助けたまひ候はんこと、いかが候ふべき」 と申しければ、清盛、 「池禅尼いけのぜんに
の避さ りがたく宣へば、頼朝よりとも
を助け置くに、それよりも幼をさな
い者どもを失はんこと、不便ふびん
に思おぼ ゆるぞ」 と、中々なかなか
しげにぞ宣ひける。 「人ひと
木石ぼくせき にあらず。しかじ、傾城けいせい
の色にあはざらんには」 と、 『文集もんじふ
』 の文もん なり。道理ことわり
なりとぞ 思おぼ えける。 三人の子供の命いのち
を助けしは、清水寺観音せいすいじくわんおんの御利生りしやう
といひ、日本一の美人びじん たりし故ゆゑ
なり。眉目みめ は幸さいはひ
いの花とは、かようのことをや申すべき。 |
太宰大弐清盛は、常葉の姿を見て以来、よくない心が起こった。清盛は、
「勅定であるから、大体は刑を執行するというのが当然のことである。といって、どうして情けないことが出来ようか」 と言って、処刑することなく皆を景綱のもとへ帰した。その後、常葉のもとに清盛からの手紙が届けられたが、返事申し上げることもない。すると清盛は、
「三人の幼い子息たちを助けてやろう。ただし、お前が私に従うというのが条件、もし従わないのなら、お前の目の前で、子供たちを殺してしまうぞ」 と脅しをかけてきたが、常葉はそれでもやはり返事を申しあげない。母の尼君は、
「幼い子供や私の命を助けようと思うのなら、清盛の命令に従ってほしい」 とあれこれ意見したので、常葉も、 「さすがに、幼い子供の命も惜しいし、母の願いにも背きがたい」
と思い直した。そこで、清盛に返事申しあげて、敵の命令に従うことになった。侍どもが、 「一人、二人ならともかく、敵の子供三人までも助けなさるとは、いかがなものでしょうか」
と言ったところ、清盛は、 「池の禅尼が強引に申し出て、頼朝を助けることにしたのに、それより幼い者たちを殺すなんて、あまりにもかわいそうなことであるぞ」 などもっともらしく反論した。
「人は木でもなく石でもない。皆情けを持っている。となると美人に出会わないのが一番」 とは、 『白氏文集』 に載っている文言である。確かに、ここには道理があると思われた。 三人の子供の命を助けたのは、清水寺観音の御利生であり、また、母が日本一の美人であったがためである。容貌がいいのは幸いなものとは、このようなことを言うのであろう。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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