都には、また、六波羅
の使つかひ 、常葉ときは
が宿所へ来たりて、尋ねければ、母上、 「知らず」 と答ふ。この由よし
申せば、清盛きよもり 、 「いかでか母の知らざるべき。召め
し捕と りて、問ふべき」 由よし
宣のたま へば、伊藤武者いたうむしや
景綱かげつな 、承うけたまは
り、常葉が母を召し捕りければ、 「去さ
んぬる九日の夜、幼をさな い人々引ひ
き具ぐ して、清水きよみづ
へとて 参まゐ りし後は、生い
きたりとも、死し したりとも、行方ゆくへ
も知らず」 と申せば、 「何なん
でふその儀ぎ あるべき。命を限りに問と
へ」 とて、さんざんに問はれける。 |
都では、また、六波羅の使者が、常葉の宿所へやって来て、常葉の行方を聞くので、母上は、
「知りません」 とだけ答えた。このことを清盛に報告すると、 「どうして母が知らないことがあるか。召し捕って、聞け」 と言うので、伊藤武者景綱が命令を受け、常葉の母を召し捕ったところ、母は、
「去る九日の日、幼い子供たちを連れて、清水へ行くといって出かけましたが、その後は、生きているのか、死んでしまったのか、その行方は本当に知らないのです」 と言うだけであった。
「どうして、そんなことがあるか。命の続くかぎり問いただせ」 ということになり、厳しく尋問された。 |
|
大和やまと
にて、常葉、この由伝へ聞き、 「昔、郭巨くわくきよ
、母の命を助けんために、子を埋うづ
まんとて、穴あな を掘りしかば、金こがね
の釜かま を掘り出い
だし、母をも子をも助けけるとぞ承る。命あらば、幼をさな
い者をば、またも設まう けてみるべし。母をばいかでか設けてみるべき」
とて、幼をさな い人々引き具して、六波羅へ出い
でけるが、九条の女院にようゐん
に暇いとま 申しに参まゐ
りたり。女院、 御覧ごらん じて、
「いかに、この程は何処いづく
にありつるぞ」 と仰おほ せ下くだ
されければ、 「子供の命を助たす
けんために、大和なる所に忍びて候さぶら
ひつれども、科とが なき母の命を失うしな
はるべしと承りて、助たす けんために、六波羅へ出い
で候さぶら ふが、暇いとま
申しに参りて候ふ」 と申せば、女院、あはれに思おぼ
し召め し、 「最後さいご
の出い で立た
ち、自みづか らせん」 とて、色々の御衣ぎよい
を常葉に賜た び、三人の幼をさな
い人どもの装束しやうぞく まで下くだ
されければ、常葉、歎なげ きの中にも、傾なのめ
ならず喜びて、出い でんとすれば、御車さへ聴ゆる
され 進まゐ らせて、我わ
が身・子供、共とも に取り乗り、景綱かげつな
がもとへ行く。 |
大和では、常葉がこのことを聞いて、
「昔、郭巨が母の命を助けるために、子供を埋めようということになり、穴を掘ったところ、金の釜を掘り当てて、母も子供も助けたということを聞いています。命さえあったら、幼い子供はまた産むことも出来ましょう。しかし、どうして母を産むことが出来ようか」
と覚悟して、幼い子供たちを連れて六波羅に向かったが、その前に、九条の女院に別れを告げるため参上した。女院は会ってくれ、 「どうしていたの、これまでどこにいたの」
と心配そうに聞く。常葉が、 「子供の命を助けようとして、大和の辺に隠れておりましたが、罪もない母が代わりに殺されるらしいと聞き及びましたので、母を助けるために六波羅に出頭しようとして、その前にちょっとご挨拶申しにうかがいました」
と申し上げたところ、女院はかわいそうにお思いになり、 「最後の出で立ちの準備は、私が整えてあげよう」 と言い、常葉にはさまざまな色目の御衣を、また、三人の幼い子供たちにまで装束をくださった。常葉は歎きの中にも、たいそう喜んで、出発しようとしたところ、御車さえ使わせていただくことになり、三人の子供も一緒に乗って、景綱のもとに出向いた。 |
|
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
リ |