〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/20 (木) 常 葉 六 波 羅 に 参 る 事 (一)

都には、また、六波羅ろくはら使つかひ常葉ときは が宿所へ来たりて、尋ねければ、母上、 「知らず」 と答ふ。このよし 申せば、清盛きよもり 、 「いかでか母の知らざるべき。 りて、問ふべき」 よし のたま へば、伊藤武者いたうむしや 景綱かげつなうけたまは り、常葉が母を召し捕りければ、 「 んぬる九日の夜、をさな い人々 して、清水きよみづ へとて まゐ りし後は、 きたりとも、 したりとも、行方ゆくへ も知らず」 と申せば、 「なん でふその あるべき。命を限りに へ」 とて、さんざんに問はれける。

都では、また、六波羅の使者が、常葉の宿所へやって来て、常葉の行方を聞くので、母上は、 「知りません」 とだけ答えた。このことを清盛に報告すると、 「どうして母が知らないことがあるか。召し捕って、聞け」 と言うので、伊藤武者景綱が命令を受け、常葉の母を召し捕ったところ、母は、 「去る九日の日、幼い子供たちを連れて、清水へ行くといって出かけましたが、その後は、生きているのか、死んでしまったのか、その行方は本当に知らないのです」 と言うだけであった。 「どうして、そんなことがあるか。命の続くかぎり問いただせ」 ということになり、厳しく尋問された。

大和やまと にて、常葉、この由伝へ聞き、 「昔、郭巨くわくきよ 、母の命を助けんために、子をうづ まんとて、あな を掘りしかば、こがねかま を掘り だし、母をも子をも助けけるとぞ承る。命あらば、をさな い者をば、またもまう けてみるべし。母をばいかでか設けてみるべき」 とて、をさな い人々引き具して、六波羅へ でけるが、九条の女院にようゐんいとま 申しにまゐ りたり。女院、 御覧ごらん じて、 「いかに、この程は何処いづく にありつるぞ」 とおほくだ されければ、 「子供の命をたす けんために、大和なる所に忍びてさぶら ひつれども、とが なき母の命をうしな はるべしと承りて、たす けんために、六波羅へさぶら ふが、いとま 申しに参りて候ふ」 と申せば、女院、あはれにおぼ し、 「最後さいご ち、みづか らせん」 とて、色々の御衣ぎよい を常葉に び、三人のをさな い人どもの装束しやうぞく までくだ されければ、常葉、なげ きの中にも、なのめ ならず喜びて、 でんとすれば、御車さへゆる され まゐ らせて、 が身・子供、とも に取り乗り、景綱かげつな がもとへ行く。
大和では、常葉がこのことを聞いて、 「昔、郭巨が母の命を助けるために、子供を埋めようということになり、穴を掘ったところ、金の釜を掘り当てて、母も子供も助けたということを聞いています。命さえあったら、幼い子供はまた産むことも出来ましょう。しかし、どうして母を産むことが出来ようか」 と覚悟して、幼い子供たちを連れて六波羅に向かったが、その前に、九条の女院に別れを告げるため参上した。女院は会ってくれ、 「どうしていたの、これまでどこにいたの」 と心配そうに聞く。常葉が、 「子供の命を助けようとして、大和の辺に隠れておりましたが、罪もない母が代わりに殺されるらしいと聞き及びましたので、母を助けるために六波羅に出頭しようとして、その前にちょっとご挨拶申しにうかがいました」 と申し上げたところ、女院はかわいそうにお思いになり、 「最後の出で立ちの準備は、私が整えてあげよう」 と言い、常葉にはさまざまな色目の御衣を、また、三人の幼い子供たちにまで装束をくださった。常葉は歎きの中にも、たいそう喜んで、出発しようとしたところ、御車さえ使わせていただくことになり、三人の子供も一緒に乗って、景綱のもとに出向いた。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
Next