〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/19 (水) 常 葉 落 ち ら る る 事 (六)

松の木ばしら竹簀子たかすのこ きも らはぬ菅莚すがむしろ伏見ふしみさと に鳴くうづら 、聞くにつけても悲しきに、宇治うぢ川瀬かはせ水車みづぐるまなんめぐ るらん。
夜も けければ、常葉、そこを でんとす。主人あるじをとこをさな い人々をいとほしく思ひ奉り、 「今日けふ ばかり、君達きんだち の御あし をも休めまゐ らつさせたまへ」 とて、とど めければ、その日もそれにとど まりて、三日と申せば、 でにけり。主人あるじ の男、むまくら こしらへて、常葉を乗せ、をさな い人々をば下人げにん どもにいだ かせなんどして、おのとも にて、木津きづ まで送りて、帰りければ、 「世にありとも聞かば、尋ねよ。われ も忘るまじきぞ」 とて、小袖こそで一重ひとかさね らせければ、 「いかでかたま はり候ふべき。君達きんだち の御あし をもつつまゐ らつさせたまへ」 と申せば、 「主人あるじ の方へ形見かたみおく るに、謀叛の者のつま にてあるが、人を尋ねて忍ぶなり。あと より尋ぬる者ありとも、 『知らず』 と言ふべし」 とてぞ帰しける。
大和国やまとのくに 宇陀郡うだのこほり 竜門りゆうもんまき岸岡きしをか といふ所に、伯父をぢ ありしかば、尋ねて行きければ、しばら く忍ばせけり。

松の木の柱に竹簀の子、それにこれまで使ったこともないような粗末な菅莚、伏見の里に鳴く鶉、その鳴き声は聞くだに悲しく、宇治の川瀬の水車のように、何とつらい世のめぐり合せなのだろう。
夜も明けて、常葉はこの家を出ようとした。主の男は、この幼い子供たちをふびんがり、 「せめて、今日だけでも、お子さんたちの足の疲れをとってあげなさい」 と引き留めてくれた。その日もここに泊って、三日目に出発することになった。主の男は、馬や鞍を準備して、これに常葉を乗せ、幼い子供たちはそれぞれ下人に抱かせ、自分も供をして、木津まで送った。別れ際に、常葉は、 「もし、自分が無事でいたと聞いたら、ぜひ尋ねて来てください。私もののご好意は忘れません」 と挨拶して、小袖を一重与えた。主の男は、 「どうしていただくことができましょう。お子さんたちの足でも包んでください」 と辞退したが、常葉は、 「形見として贈ったつもりです。謀反人の妻子で、身を隠しながら、人を尋ねているところです。後から探しに来る者がいたとしても、 『知らない』 と言ってください」 と頼んで、主の男たちを帰した。
大和国宇陀郡竜門の牧、岸岡という所に伯父がいたので、そこを訪ねて行って、しばらく隠れ住んでいた。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
Next