松の木柱
に竹簀子たかすのこ 、敷し
きも慣な らはぬ菅莚すがむしろ
、伏見ふしみ の里さと
に鳴く鶉うづら 、聞くにつけても悲しきに、宇治うぢ
の川瀬かはせ の水車みづぐるま
、何なん と憂う
き世よ に廻めぐ
るらん。 夜も明あ けければ、常葉、そこを出い
でんとす。主人あるじ の男をとこ
、幼をさな い人々をいとほしく思ひ奉り、
「今日けふ ばかり、君達きんだち
の御脚あし をも休め進まゐ
らつさせたまへ」 とて、止とど
めければ、その日もそれに留とど
まりて、三日と申せば、出い でにけり。主人あるじ
の男、馬むま ・鞍くら
こしらへて、常葉を乗せ、幼をさな
い人々をば下人げにん どもに抱いだ
かせなんどして、己おの れ供とも
にて、木津きづ まで送りて、帰りければ、
「世にありとも聞かば、尋ねよ。我われ
も忘るまじきぞ」 とて、小袖こそで
を一重ひとかさね 取と
らせければ、 「いかでか賜たま
はり候ふべき。君達きんだち の御脚あし
をも包つつ み 進まゐ
らつさせたまへ」 と申せば、 「主人あるじ
の方へ形見かたみ に贈おく
るに、謀叛の者の妻つま ・子こ
にてあるが、人を尋ねて忍ぶなり。後あと
より尋ぬる者ありとも、 『知らず』 と言ふべし」 とてぞ帰しける。 大和国やまとのくに
宇陀郡うだのこほり 竜門りゆうもん
の牧まき 、岸岡きしをか
といふ所に、伯父をぢ ありしかば、尋ねて行きければ、暫しばら
く忍ばせけり。 |