先途
程ほど 遠き、思ひを大和やまと
なる宇陀うだ の郡こほり
に籠こ め、後会こうくわい
期ご し遥はるご
かなる、袂たもと は暁あかつき
の古郷こきやう の涙に萎しを
れつつ、慣<なrt> らはぬ旅たび
の朝立あさだ ちに、野路のぢ
・山路やまぢ も見え分わ
かず。比ころ は二月きさらぎ
十日なり。余寒よかん 猶なほ
烈はげ しくて、雪は隙ひま
なく降りにけり。今若殿いまわかどの
を先さき に立た
て、乙若殿おとわかどの を手を引き、牛若殿うしわかどの
を懐ふところ に抱いだ
き、二人ににん の幼おさな
い人々には物も履は かせず、氷こほり
の上を裸足はだし にてぞ歩ませける。
「寒さむ や、冷つめ
たや、母御前ははごぜん 」 とて、泣な
き悲しめば、衣ころも をば幼をさな
い人々に打う ち着き
せて、嵐あらし ののどかなる方かた
に立た てて、我わ
が身は烈はげ しき方に立ち、はぐむにけるぞあはれなる。 |
これからの行く手は遠く、大和の宇陀の郡に思いを馳せ、生きて再び出会うこともない、この暁、故郷を思う涙で袂はすっかり濡れてしまった。慣れぬ朝立ちの旅、野路、山路も涙で見分けがつかない。ころは二月十日のことである。余寒はまだ厳しく、雪はしきりに降っている。今若殿を先頭に、常葉は乙若殿の手を引いて、牛若殿を懐に抱いて、二人の幼い子供は履物も履かず、氷の上を裸足で歩いていた。
「寒いよ、冷たいよ、母者」 と子供たちが泣き悲しむと、常葉は衣を子供に着せかけて、吹く風が弱いほうに子供を立て、風の強い方に自分が立つなど、精一杯子供を世話しているさまは、気の毒といったらない。 |
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小袖こそで
を解と きて脚あし
を包つつ むとて、常葉、言ひけるは、
「いま少し行きて、棟門むなかど
立た ちたる所あり。これは、敵かたき
清盛の家なり。声を出い して泣くならば、捕と
らはれて、失うしな はれんず。命惜を
しくは、泣くべからず」 と言い
ひ含ふく めて、歩あゆ
ませける。棟門立ちたる所を見て、今若殿、 「これ候ざうら
ふか、敵かたき の門は」 と問へば、泣く泣く、
「それなり」 と打う ち頷うなづ
く。 「さては、乙若殿も泣くべからず。我われ
も泣くまじき」 と言いひながら、歩あゆ
みけるに、小袖こそで にて脚あし
は包つつ みたれども、氷こほり
の上なれば、程ほど なく切き
れ、過す ぎ行く跡あと
は血ち に染そ
みて、顔は涙に洗あら ひかね、とかうして、伏見ふしみ
の姨をば を尋たづ
ねて入りにけり。 |
小袖を解いて脚を包もうとしながら、常葉は、
「もう少し行くと、棟門の立った家があります。それは、敵清盛の家なのです。声を出して泣いたら、捕えられて殺されますよ。命が惜しかったら、泣いてはいけません」
と言い含める。棟門の立っている所を見て、今若が、 「これが敵の門」 と聞くので、常葉は、泣く泣く、 「そうよ」 と頷く。 「さあ、乙若殿も泣いてはいけません、私だって、もう泣きません」
と言いながら歩き始めたが、小袖で脚は包んだものの、氷の上のことで、いつしか切れてしまい、通り過ぎる跡は血に染まり、顔は涙で濡れ、とかくしているうちに、伏見の伯母の家に着いた。
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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