〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/18 (火) 常 葉 落 ち ら る る 事 (二)

常葉ときは も、子供 して、rt>ぼう へ入りにけり。 ごろは、源氏大将だいしやう 左馬頭さまのかみ 義朝よしとも女房にようぼう などともてなし、輿こしくるま にて参りてしに、今日は、乗り物こそなからめ、供の者一人いちにん せずして来たりければ、坊主ぼうず も、いかにあはれに思ひけん。坊主、 「いかなる御事候ふぞや」 と申せば、 「義朝の君達きんだちさぶr ふを、平家の方へ だし、うしな ふべしと承り候ふ。片辺土かたへんど へ落ち行き候ふが、観音によくよく申させたまへ。御ちか ひより外、またはたの み候はず」 と言へば、坊主、申しけるは、 「唐の太宗たいそう は、仏像をらい して、栄花えいぐわ を一生の春の風に開き、漢の明帝めいてい は、経典きやうでんしん じて、寿命じゆみやう を秋の月に すとぞ承り候へ。かうて、この僧が候へば、さりともとおぼ され候へ。これにもしばらしの ばせたまひ、世の有様ありさま をも御覧ごらん ぜよ」 と申せば、 「これは、六波羅ろくはら も近ければ、始終しじゆう はいかでかかな ふべき。大和やまとかた へ人をたづ ねて行くなり」 とて、常葉、 でにけり。

常葉も、子供を連れて、師の僧坊に行った。いつもは、源氏大将左馬頭義朝の女房ともてはやし、輿や牛車で参詣していたのが、今は、乗り物にも乗らず、供の者一人も連れずにやって来たので、坊主もどんなにか気の毒に思ったことだろう。坊主は驚いて、 「どうしたのですか」 と不審がると、常葉は、 「ここに居るのは義朝の子息たちですが、皆、平家方で取り上げて、殺してしまうとの噂です。これから田舎の方へ落ち延びようと思っておりますが、観音によくよくお願いしてください。観音の御請願だけが頼みなのです」 と言う。坊主が 「唐の太宗は、仏像を礼拝、その功徳によって、生涯を春の風のごとき栄花のなかでお過ごしになり。漢の明帝は、経典を信じて、その功徳により、寿命を秋の月のごとく何のかげりもなく終えることが出来た。こう私が言うのですから、仏の功徳とはかくもすばらしいものと信じなさい。ここにしばらく隠れて、世間の様子をうかがっていなさい」 と言うと、常葉は、 「ここは六波羅に近く、どうして、ずっと隠れ通せることがありましょう。大和の方へ人を尋ねて行きます」 と別れを告げ、泣く泣く、清水寺を出た。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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