常葉も、子供を連れて、師の僧坊に行った。いつもは、源氏大将左馬頭義朝の女房ともてはやし、輿や牛車で参詣していたのが、今は、乗り物にも乗らず、供の者一人も連れずにやって来たので、坊主もどんなにか気の毒に思ったことだろう。坊主は驚いて、
「どうしたのですか」 と不審がると、常葉は、 「ここに居るのは義朝の子息たちですが、皆、平家方で取り上げて、殺してしまうとの噂です。これから田舎の方へ落ち延びようと思っておりますが、観音によくよくお願いしてください。観音の御請願だけが頼みなのです」
と言う。坊主が 「唐の太宗は、仏像を礼拝、その功徳によって、生涯を春の風のごとき栄花のなかでお過ごしになり。漢の明帝は、経典を信じて、その功徳により、寿命を秋の月のごとく何のかげりもなく終えることが出来た。こう私が言うのですから、仏の功徳とはかくもすばらしいものと信じなさい。ここにしばらく隠れて、世間の様子をうかがっていなさい」
と言うと、常葉は、 「ここは六波羅に近く、どうして、ずっと隠れ通せることがありましょう。大和の方へ人を尋ねて行きます」 と別れを告げ、泣く泣く、清水寺を出た。 |