清盛
、宣のたま ひけるは、 「池殿いけどの
の避さ りがたく宣へば、頼朝よりとも
をば助け置くべし。常葉ときは
が腹に、義朝よしとも の子三人あんなり。尋たづ
ね出い だし、目の前にて皆みな
失うしな ふべし」 とぞ宣ひける。 人来き
たりて、常葉にこの由よし 知らせければ、さあらずとも、
「いかがらんずらん」 と歎なげ
きけるに、この由聞き、二月九日の夜よ
に入りて、幼をさな い者ども引ひ
き具ぐ して、清水寺きよみづでら
へぞ参まゐ りける。仏前にて、申しけるは、
「わらは、観音くわんおん に頼たの
みをかけ進まゐ らせ、七歳の年より、月詣つきまゐ
り怠らず。十三の歳より、毎月に一部の法華経ほけきやう
怠おこた らず。十九歳より、毎月に三十三体の聖容せいよう
を取り奉たてまつ る 。それ、観音の慈悲じひ
、利生りしやう 深くおはしますことを承うけたまは
るに、三十三身しん の春の花の匂にほ
ふ袂たもと は数を知らず。十九種の秋の月、洩も
れ来こ ぬ宿やど
はよもあらじ。観音の慈悲じひ
利生りしやう なれば、 『後世ごせ
まで』 と申すとも、いかに適かな
へさせたまはざるべき。いかに況いはん
や、今生こんじやう に三人の子供の命を助けて、わらはに見せさせたまへ」
と、夜よ もすがら口説くど
き申しければ、観音くわんおん
も、いかがあはれと思おぼ し召め
しけん。夜よ も明けぬれば、参籠さんろう
の上下じやうげ 、皆下向げかう
す。 |