人、この由を聞きて申しけるは、
「昔、大日下 の王子わうず
の御子、眉輪まゆわ の王子は、七歳にして、親の敵かたき
の伯父をぢ 安康あんかう
天皇を討ちたまひけるなり。厨川くりやがは次郎
貞任さだたう が子息千世ちよ
童子は、十二歳にて、父と一所いつしよ
にて討死うちじに しけるとぞ承る。頼朝は、今年十三歳になるぞかし。父と一所にて討死をこそせざらめ。年とし
高く、齢よはひ 傾かたぶ
きぬる朽尼くちあま に付つ
きて、命を乞こ ひ、助からんと言ふは、無下むげ
に言ふに効かひ なき心かな」
と言ひければ、或あ る人申しけるは、
「こ儀、然しか るべからず。越王ゑつわう
勾践こうせん と呉王ごわう
夫差ふさ と、会稽山くわいけいざんさ
を中に隔へだ てて合戦かつせん
しけるに、越王、軍いくさ に打ち負けて、敵かたき
呉王夫差に捕と らはる。土の牢らう
に籠こ めて、失うしな
はんとしけるに、呉王夫差、大事の病やまひ
、石淋せきりん といふことに悩なや
めり。 『いかにしてか病人の生死しやうじ
を知るべき』 と言ひければ、越王、この由を聞き、 『病人の死生ししやう
を知るは易やす きこと』 と言ふ。
『いかにして知るぞ』 と問へば、 『尿いばり
を飲みて知る』 と言うふ。 『尿なんぢ
、飲みてみんや』 と言えへば、 『易やす
きことなり』 とて、呉王夫差が尿を三度さんど
飲む。 『いかん』 と言へば、 『今度は死すべからず』 と答ふ。やがて病やまひ
癒い えければ、 『これ、我が為に恩おん
ある人なり』 とて助けらる。故郷こきやう
へ帰りける時、途みち にて蛙かはづ
の跳をど りければ、馬より下お
りて通る。人、 『いかに』 と問へば、 『勇いさ
める者を賞しやう ぜんためなり』
と答ふ。 『かかる賢人けんじん
あるなり』 とて、当国他国より、大勢おほぜい
来たりて付きければ、遂つひ に、呉王夫差を殺しぬ。会稽くわいけい
の恥はぢ を雪すす
ぐとは、かようのことをこそ申せ。あるが中に、頼朝、命を生きんと言ふは、成人して後、親おや
の敵かたき なれば、平家を亡ほろ
ぼさんとや思ひなりて、申し候ふらん。恐をそ
ろし恐をそ ろし」 とぞ申し合ひける。
|